何の知識なしの幾多のワクチンが。。。② | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

前回の続編です。私は2001月12月に西アフリカから帰国しました。私が得た西アフリカでの体験は誠にショッキングではありましたが。、これまでの常識を覆る体験でした。私が滞在するその国では公用語は英語でした。しかしその滞在中にその国の公用語ではないフランス語を学びました。しかしそれは言語の問題ではなく本当に現地の人々の思考を知りたかった、フランス語をブラッシュアップしたいという理由からでした。私の自宅に来てくれた先生は公立の中学での第2外国語としてフランス語を教えていた男性の先生でした。

 

私はこののレッスンで私は全てのストレスをこの先生にぶつけたのです。普段の生活の不平不満を発散させました。それは語学ということは抜きにして、つまり言いたいことを全ていう、単語や文法は全く度外視してです。アフリカでは口伝の世界ですので、文字に残す歴史はありませんので、日本人には想像ができないほど皆外国語の天才です。それは音、会話のレベルです。文字に表すとなるとペラペラ話をしている人では全く書けない人も普通です。そして私のフランス語の先生も会話は私よりずっと上のレベルでしたが、文字化するとええええ?のレベルでした。

 

私はその度にかっかとして指摘しましたが、その先生が全く気にせずにずっと私に優しく接してくれました。今考えますと、よく私の愚痴をずっとニコニコしながら聞いてくれたと感謝の念で今では一杯です。そしてこの先生から表にはでない本質的は考え方、そしたキリスト教が入る前のアニミズムの世界等が根深く続いていること、そしてその地にも同行されてもらったり、今考えますと貴重な体験をされてもらいました。

 

私は現地2年の滞在中に様々な異文化を体験することができました。そして現地で喧嘩もしました。でも様々な学びもさせてもらったのです。このような体験は西アフリカでしかなかった。日本から遠い、そしてほとんど知られていない国で、全く異なった文化、そして様々な風土病のある国で。しかし私はこの2年間、全く病気にもかからずに(マラリアにはかかりませんでした。)過ごすことができたのです。現在の私の基礎はこの時代の体験が大きく影響しています。

 

そして帰国を前に私ももう一度、この西アフリカに戻って来ようと決意したのです。次は英語圏ではなくフランス語圏にと。これは2001年12月のことでした。そしてこの思いは達成され、翌年には順調に次の仕事、しかも今度はさらにグレイアップ?したレベルでの仕事も決まりました。私の人生の中での順調なコースでありました。(次号に続く)