新潟市青龍寺は隠れ縄文の地 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

新潟市西蒲区にあります青龍寺にある船地蔵については以前に書かせていただきましたが、ここからはかなりの縄文時代の遺跡が出土しています。ここは観光用のお寺ではありませんので全く宣伝はしていませんが、由緒ある大変立派なお寺です。弥彦神社がある弥彦駅から徒歩30分の場所です。

 

新潟市西蒲区巻郷土博物館には青龍寺から発掘された無数の石鏃が展示されています。特別出店(個人蔵)と書かれていましたので、これ以外にもかなりの出土品があるのだろうと先週の金曜日に想像していました。

 

そして2日前にアルバムを整理していたところ、青龍寺にて撮影された、大正時代から昭和にかけて出土された非常に珍しい出土品の写真が見つかりました。おそらく裏山近くで発掘されたもので大切に青龍寺にて保管されているものだと思います。これらの写真は当時、高坂和導がまた若い頃、おそらく昭和56年にご住職様からお見せていただいたものかと思います。その中には龍の顔を持ったとぐろを巻いた鉱物、顔立ちが鋭い大きな天狗、石鏃、石棒や男根等が沢山写っています。

 

このご住職の命によって現在のご住職の奥様が嫁いでまもなく、聖なる場所から背中に船地蔵を担がれて山を下りられたこと、その重さが50年年近く経った今でも背中にずっしりと残っているというお元気な奥様のお話しは忘れられません。

 

10月に訪問した際もお見せいただいたものも門外不出の宝物があることは察していましたが、ここはやはり縄文の時代からの由緒ある場所のようです。思いを寄せますと、全く違ったところからぽつぽつと資料が出てくるのは本当に楽しいことです。いかにこれまで20年近く我が家にあったものも、何の意識もなければただのゴミと同じです。意識して生きていくことの大切さをまた痛感させられる日々です。