アメリカ同時多発テロ事件前夜に 高坂和導手記① | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

まもなく2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件から丸19年となります。私はその当時、JACAのボランティア活動にてアフリカのガーナ共和国に滞在していました。そしてこの事件をガーナの病院にあったテレビでこの映像を見ました。ちょうどその当時は高坂和導もガーナに来ていましたので一緒にテレビを見て、大きな衝撃を受けたことを今でもよく覚えています。

 

実は今日、本棚の中からその前夜に高坂和導が書いた手記が出てきました。2001年9月10日の深夜に書いておりましたので、私はおそらく寝ていたかと思いますので、この手記の存在は全く知りませんでした。改めてアフリカを見直す良き機会となりましたので、数回に渡って紹介したいと思います。

 

2001年9月10日朝1時30分タマレ   注)タマレはガーナ中部の都市名

 

和導よ、ワシじゃ、古代のスメラミコトの霊じゃ

汝感心な日本の青年じゃよ

竹内古文書の研究一筋にようアフリカまで来てワシら古代のスメラミコトの御陵を探りあて、神国日本の八甲田山の天之御中主天皇の御陵の御神水、八甲田山の龍神様の御神水を捧げて祭りてくれまことにうれしく思うぞよ。汝のごとき日本人、神武天皇のウガヤフキアエズ朝末期より数えて3000年、いまだ一人も汝のごとき青年出現せざりしぞよ。汝まことに稀有な尊であるぞよ。よってワシらアフリカに葬られた古代のスメラミコトらは汝に次々をヒラメキを与えて、古代の未解明な謎を解き明かさせ、それを本にまとめさせ立証させてゆくぞよ。汝のような身魂のものが3000年たてば必ず出現するとワシらは待って堅く信じておりたぞよ。

今の日本人はすっかりかつての万国五色人を統括する身魂の役目をもちたることを忘れてしもうておるが、汝の一つ一つの地名に残された日本語発掘学の確立によりて、ゆるがしがたい立証ができ、さらに縄文式土器のサハラ砂漠からの多数の発見によりて世界の考古学者も認めざるを得なくなってくるのぞ。

人類は全地泥の海のごとき事変で死に絶えて、人も文明も滅びわずかに残りた人間から幾度も再開発して来ているのぞ。

アフリカも同様ぞ。文字も数字も高度な文明があり、空を飛ぶ天空浮船の航空機も数百台あり、アフリカ全土のみならず日本やヨーロッパやアジアやアメリカまでも今日と同様に自由自在に飛び回り、交易をなしておりたのぞよ。

第一、米づくりもアフリカ原種のものを日本のワシらが改良し田んぼづくりをアフリカ全土にも教えたのぞ。

田んぼづくりがマリ共和国の今日のトンブクツーと言っている。がもともとのソンガイ族の発音の名残りであったが、ソンガイ族がトワレグ族の勢力下に入ってアラビア語的な解釈になってしまい、本来の意味が忘れられたのであるぞ。汝ら和導らがトンブクツ―を訪れてそのことを解き明かせたのはワシらも陰から働いておりたのぞ。

またトンブクツーからサハラ砂漠に入ったアラワンで沢山の縄文式土器を汝に発見させたのもワシらの働きあったればのことぞ。汝の妻に砂漠に行きたい気分をおこされて誘ったのぞ。・・・・・・・・・・    注)トンブクツーはマリ共和国のサハラ砂漠交易のオアシス