火焔型土器の故郷・信濃川流域 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

昨日より新潟県に来ています。岡本太郎も絶賛した縄文土器であるエネルギッシュな火焔型土器は新潟県の信濃川流域を中心に新潟県のほぼ全土で発掘されています。中でも津南町・十日町市から長岡市にいたる信濃川上・中流は火焔式土器が縄文時代中期を最盛期として一大文化圏を形成していました。

 

今回は十日町市と長岡市を訪れ、遺跡や博物館の見学をしました。博物館での展示物には火焔式土器と王冠型土器が一同に展示され、圧巻としか言いようがありません。十日町市歴史博物館には笹山遺跡から発掘された火焔型土器など国宝が数多があります。新潟県立博物館には縄文時代のムラの生活を再現したコーナーがあり興味深く見学できます。しかし東北地方からの土器等の土器や土偶も展示されていますが、ほとんでレプリカです。

 

県立博物館から徒歩15分ほどの所には馬高縄文館があります。こじんまりしていますが、本物は実はここに展示されています。ここは馬高・三十稲場遺跡の場所です。ラッキーなことに最初から最後まで私一人の貸し切りでしたが、キャリーケースも博物館の見学、そして外の遺跡見学の際も事務所に預かっていただき、とても親切にしていただきました。入場料は200円、さらに驚いたことに写真が沢山入った遺跡のガイドブックが3種類販売されていましたが、1冊100円という安さでした。他で買えば1冊1,000円はします。本当に値段で良いのですが?と私が尋ねたくらいです。もちろん3冊購入しました。展示されている火焔型土器や王冠型土器を初めとした展示物も全て本物ですのでレプリカと比べればエネルギーの違いは明らかです。是非、長岡市に行かれるチャンスがあれば訪問してください。

 

「火焔土器」は、1936年に馬高遺跡から発掘された土器に初めて名付けられた愛称です。その後この火焔土器と区別して火焔型土器と呼ばれるようになったそうです。つまり火炎土器は1つだけ、今は国の重要文化財となっているとのことです。

 

近年、火焔式土器とこれに伴う土器の付着物200点を炭素14年代測定を行ったところ、その多くが約5,300年~4,800年までの500年間に製作されていることがわかっているそうです。13,000年以上続く縄文時代の中で、その中で約500年間の束の間の文化でした。縄文中期後葉の土器にはほとんで影響を残さずに消滅したという謎の「縄文の華」であります。