ふじさんミュージアムへ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

このお盆の時期は山梨県の河口湖で過ごしました。河口湖から山中湖の間にある富士吉田市、この地を2,3年の間に何往復したことか。

 

そんな中で富士吉田市にあるふじさんミュージアムに行ってなかったのは灯台下暗しだったかもしれません。北口本宮冨士浅間神社から至近距離の場所にあります。2015年にリニューアルされた新しい博物館です。新型コロナの影響で訪れる人が少ない分、ゆっくりと見学できました。展示物自体はそれほど多くはありませんが、富士山の歴史を中心として、縄文時代の土器も展示されています。

 

縄文時代の富士山は、溶岩や火山灰が噴出し、火砕流や土石流が流れ下り、山が崩れるなどさまざまな火山災害に見舞われたようです。地元の富士吉田市にある上中丸遺跡や上暮地新屋敷遺跡から約5000年前の富士山の火山災害の実態が明らかになってきました。

 

縄文時代は多くの村が富士山の麓にありました。富士山の噴火がおきれば、数年から数十年は村から離れ、自然環境が回復するのを待って、また同じ村へ戻ってきたようです。縄文人は自然の恵みである動物や植物を食糧としていましたので、長い年月をかけて自然環境が回復すること、回復力をそのまま生かすのが、縄文人の姿勢でした。

 

焼けたくク林や土器がこの地から発掘されています。自然災害は繰り返し起こる可能性がある地でもこの地を離れることはなく、生活を続けました。火に対して畏敬の念をいただいていたのが縄文人です。

 

今でも8月26日と27日に開催される吉田の火祭りの儀式には多くの人々が集まり、富士山の噴火で起きる地球内部の鼓動を思い起こさる火祭りです。今年は新型コロナの影響で中止となりましたが、来年はこの吉田の火祭りに参列したいと思っています。