時のマジック | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

この3カ月は毎日私の頭から離れなることがなかった時のマジック。そう時とはこの次元にしか存在しませんので、他の次元からの存在とこの地球上の次元の時を重ね合わせますと、どう計算しても合致することはないのです。

 

イタリアのダマヌールでの学習教材としても使用されるヒンドゥ教の聖典の一つであるであるバガヴァッド・ギータ―、また世界の創造主であるブラフマーの息子である人類の始祖であるマヌが述べたと言われるマヌ法典には、ブラフマーの時についての記述があります。私はこの部分を何百回と繰り返し、頭の中で計算したり、神に書いたり、計算機をたたいたことでしょうか。ここには大きなヒントがあるのです。竹内文書にある時の記載もこの地球上の数値とはかけ離れたものがあるからなのです。

 

ブラフマー(梵天)の昼は1000yuga(ユガ)、夜は1000yugaの長さです。yugaは4時期に分けられます。クリタ・ユガ(1,728,000年)、トレータ・ユガ(1,296,000年)、ドゥヴァーパラ・ユガ(864,000年)、カリ・ユガ(432,000年)これらを合わせたのが大ユガ(4,320,000年)です。この千の大ユガをカルパと言い、ブラフマーの昼(夜)に当たるという。またこの一日はブラフマーにとっては心臓の1拍に過ぎないということです。1拍は何秒と計算したらよいのでしょうか。とてつもない数字となるはずです。そう時の外の外にいる存在にとってはこの時の中にいる我々の時間など取るに足りないということでしょうか。

 

すなわち地球上の人類とまぜこぜの歴史年表はあまり意味がないかと思います。今は不明となっている竹内文書の現存しない資料の中には、現在の1年が1日であった時代があります。つまり365年が今の1年という計算です。またマヌ法典にもこんな記載があります。「人間の1月は祖霊の夜と昼である。二つの半月がその区分である。」「人間の1年は神々の夜と昼である。両者の区分は、昼が太陽北行の半年であり、夜は南行きの半年である。」・・・・・・時代によって時の数え方?考え方も違っていたということであるかと思います。すなわち今の基準基づいた時の表示は不可能なのはないかという私なりの結論に達しました。また時を経て、違った視点から考え直すことも必要かと思います。

 

インド哲学の本はこれまでの人生で非常に毛嫌いしていました分野でしたが、まさかのアトランティス文明の叡智を引き継ぐエジプト文明を継承、研究するヨーロッパのダマヌールが私にチャンスをくれたのです。一つの分野のみでは理解できない世界を今年は多いに学んでいます。これも新型コロナウイルスの私への贈り物でした。