漢字以前に和文字が存在していた | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

16世紀まで使用されていたアメリカ・インディアンの・言葉は、まごうかたなき日本語でした。現在、彼らのほとんどは昔ながらの言葉を捨て、征服民族の言語を使用しています。そうせざる長く苦しい歴史がありました。しかし、話し言葉は失われたとしても、一部は地名や部族名、人名として残っています。

 

ナホバ族では遠くを「あっち」、近くを「こっち」、あなたを「ナンジ」と言います。また「アンジ(暗示)」は、例えば虹が大地にかかった時、見えない大地の下にも同じような半円の虹があるだろうと想像すること」つまり、地上の虹が地下の虹を暗示しているとうことです。ジョコウ(徐行)はゆっくり走るという意味です。(正確にはジョウコウと発音しています。)

 

竹内文書が伝える超古代世界はすべてにおいて「和」=輪なるものをよしとしていました。「和」は「和」に通じ、円や球も意味します。ナホバ族の言葉の中に、そして根底を流れる思想も完全に超古代の日本が世界を統治していた時代の思想を継承しているもです。

 

ナホバ族だけでなく、アメリカ・インディアン全体に残っています。例えば、スー族の聖なる伝説の中でも同じようなことを伝えています。

「アメリカ・インディアンの行動はすべて円の中で行われている。それは、宇宙の力が円の形となって働き、すべてのもが円い形になろうとしているからだ。はるか昔に、われわれの部族が強く幸せであった頃、われわれの力は全て聖なる輪から生まれていたのだ。そして、その輪が壊れない限り、部族は栄え続けた」  

はるか昔の幸せだった頃の輪の教え。輪=和と等しかったことが明らかです。

 

またナホバ族にはホウジョウ(豊饒)という言葉も使われていました。つまり漢字はもともとあった日本語に漢字をあてはめたことがわかります。日本語の音があって、そして漢字熟語があてはめられたのです。漢字以前に和文字が存在していたのです。

 

竹内文書の中には、中国の伝説の伏羲や神農が、ウガヤフキアエズ朝第53代の時代に日本の天皇より文字の作り方を習ったという記録があります。「竹内文書でわかった太古の地球文化は縄文JAPANだった」  高坂和導著 ヒカルランド刊に詳しく書かれています。

 

そうでした。高坂和導の前世であったフキアエズ朝第66代の天皇の時代には、皇子21名と皇女23人を文字と言語の教官として万国に派遣されたという記録が竹内文書の中に残っていました。