三和 導代 です。
数か月前から絶版となっていました徳間書店より1995年に出版されました超図解・竹内文書のⅠとⅡが増刷されました。Ⅰが絶版となっており大変お待たせいたしました。高坂は生前数冊書籍として竹内文書に関して書籍を残しています。
しかし竹内文書の3冊目の本であるアメリカ編に関しましては、他の勢力により出版社に対しても圧力が外部からかかり、絶版せざる得ませんでした。当時の徳間書店の担当者は、現在のヒカルランドの社長でありましす石井健資社長でした。出版社まで乗り込んだのです。高坂の本を絶版にせよと迫ったのです。そう絶版にせざる得なかったのです。
天皇に関する歴史に迫り、活字としますと命がけとなるのです。不明団体は出版社まで乗り込み踊り、ご想像がつくかと思いましたが、私たちの自宅そして私の実家まで嫌がらせの宣伝カーは、そしてなんと自宅前には段ボールの高坂のお墓まで置かれたのです。そして高坂は命を狙われ、自宅を離れました。1999年のことです。私は私の計画通りにJICAのプログラムにて日本を離れガーナに旅立ちました。そう一番命を狙われ国内にかくまわれていた時に。。。。。。。。本当にあってはならない妨害です。言論の自由をまさに阻害する外部の圧力です。
私は高坂と全く連絡がつかないままにガーナに旅立ちました。普通でしたら取りやめていたでしょうが、当時は私のキャリアの方が大切、そして高坂は特別な存在と思っていましたので全てクリアーできると私は思いこんでいたのです。
そしてガーナへ。ある方の仲介を得て電話で連絡がとれました。生きていたのです。そして出発して1年後に高坂は私を訪ねてガーナにやってきました。以前の高坂とは全く違う、それはハートの面ではなく肉体の面でした。病的で口も上下のバランスを崩し、つまり病み上がりの姿でした。しかし私はこの空白の期間のことは一切質問しませんでした。聞きたくなかったからです。ですからねぎらいの言葉もかけませんでした。
そしてこの後2年後に54歳という若さで他界しました。そしてその葬儀の際に、私が1年間日本を離れガーナに行っている際彼がストレス?高血圧?で倒れ、入院し、彼の実の長兄夫婦が病院でお世話してくださったこと等・・・・・・そして高坂が実父以上に恐れていた実の実兄が葬儀が終わり二人で号泣していた姿を目にしたのです。私も母も父が泣く姿を初めてみました。そして高坂が一番怖がっていた長兄がです。
二人とももうこの世にはいません。高坂の長兄はその後、他界するまでずっと私と家族に対して優しく接してくれました。そして高坂とは全く違った実社会で活躍された方(苦労して報道カメラマンからTBSのディレクターへ)でしたが、高坂の世界とは全く異なった次元の方でしたが、本当に最後まで、そして高坂の生きざまを理解してくださったのです。兄弟でも、そう全く違った人生を生きた二人でしたが。
個人的はことを長々書きました。絶版に追い込まれた竹内文書の3冊目の本であるアメリカ編は、故江本勝先生のとりなしで文庫本にて徳間書店の5次文庫より復刻され(絶版)、そしてさらに現在はヒカルランドより石井健資社長により復刻版として「竹内文書でわかった太古の地球共通文化は縄文JAPANだった」として出版されています。その他ヒカルランドからは私が製作したDVD付きの高坂和導の講演をテープ起こしした書籍も出ています。本当に高坂に思いをかけてくださる方々のお陰で活字として残すことができました。私は決して恩を忘れません。ありがとうございます。
本当の歴史を追求される方、是非お読みください。amazonで高坂和導で検索いただきましすと、その他の絶版となった書籍に関しましては全てデータ化してお読みいただけるようにしております。彼が遺しました宇宙エネルギーを満載したホウリンについてもお読みいただけます。(定期的のホウリン体験勉強会も開催しております。)