武内宿禰を祀る高良大社へ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

明日から3日間は福岡です。この予定は12月8日に決まりました。明日から久留米に宿泊します。

 

1月13日に第73代武内宿禰、竹内睦泰氏が旅立たれました。53歳という本当にお若い年齢でした。1月15日の私の東京でも代官山でのセミナーの前に睦泰氏の悲報を聞き、本当に驚いおりました。その日の国内編のテーマは大阪の昨年世界遺産となりました天皇の古墳群、竹内街道、三輪山(山野辺の道)、葛城古道等でありました。沢山テーマはあったのですが、12月21日より23日に再訪した大和でした。

 

この日から私はずっと頭から竹内睦泰氏のことが頭から離れずに、我が家の書棚にあります本を出して読み返したり、You Tube  での睦泰氏の語りを見たりという毎日が続いています。昨日原稿を提出いた中矢伸一氏主宰の玉響でも今回は竹内睦泰氏について書かせていただきました。3月号となります。是非お読みください。

 

そして気になっていた睦泰氏の本を昨日の夜にkindleで購入し、今日は電車の中で読んでいました。ああ・・・・・何とこの中に睦泰の語りの中のシーンは私が1月15日に取り上げた場所ばかりでした。

 

そして私は久留米に行きますが、そこの高良大社に行く予定に12月8日に決めていました。ここは筑後国一の宮で御祭神は武内宿禰でありますので以前から興味を持っていたところでした。久留米には陸上自衛隊の幹部候補生の訓練所があり、その訓練期間中に全員、訓練校からこの高良大社までの坂道をマラソンし鍛えるとう訓練があります。ですから現在の自衛隊の幹部の100%はこの高良大社にお参りしているのです。おそらくそれは単に久留米にある神社であるからということではなく、御祭神が竹内宿禰とういことも考えてのプログラムではないでしょうか。

 

竹内陸泰氏は19歳から第73代竹内宿禰としての命を受け、特殊な任務のもとで生きることになったのです。それは今世においてのお役割であったのでしょう。しかし普通の人生、予備校の日本史の先生の表の仕事のままの人生でしたら、このように53歳という若さでこの時期に旅立たれることはなかったかと思います。

 

今後は肉体を離れ、真実の歴史を違った次元にて追求されていかれることと思います。果たして口伝の世界の歴史が正しかったのか、そして皇祖皇太神宮の竹内文書は?その結果を是非、竹内睦泰氏が私たちに語ってくれることを私は心より期待しています。