2001年2月22日の1通のハガキ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

本日は1月11日という1月3つ続くぞろ目の日です。今日は、私の荷物がまだ置いてある母屋の納戸にかつてガーナに居た時の写真を探しにいきました。来週の水曜日に私のセミナーがありますので、その資料探しです。

 

1999年12月から2001年12月までいましたので、もう20年近い年月が経過しています。当時はインターネットはまだ全く普及していませんでしたので、メールやデジカメなど夢の夢の時代です。ましてや舞台は西アフリカでしたので。

 

今は本当に自筆の手紙などは滅多に書かないものです。が当時は郵便局からハガキや手紙を書くのは珍しいことではありませんでした。現にまさか自分の書いた昔の絵ハガキを今日読むことになるとは思っても見ませんでした。

 

私のアルバムの中から高坂宛に書いた1通のハガキが紛れ込んでいたのです。。おそらくビデオと一緒に私がガーナの学校でボランティア活動をしていた時代に高坂に宛てたものだと思います。これを読みますと、私が当時お水で苦労していた時代のことが鮮明に戻ってきました。

 

ぼくちゃん、ボアホールをありがとう。koforiduaの水道はやはり2月になると全くストップしてしまいました。今はたくさんの人がボアホールの水を汲みに来ます。もちろん生徒以外にです。一つのボアホールでこんなに多くの人々が助けられるなんて本当に素晴らしいことです。シェフもマダムも皆、ぼくちゃんに感謝しています。ビデオの最後の方に、ボアホールopen ceremonyが写っています。是非見てください。学校にはDonationしたことは誰にも言わないでと言ったのですが、日本のお客さんが来た時の盛大なparty時に初めてMr.and Mrs Nobuyo Kosaka という字が刻まれていることに気がつきました。そしてマミーがテープカットをしました。5000$は日本人が海外旅行で使う金額です。しかしこの国ではこの金額で多くの人々を助けられるのです。・・・・・・・・2001年2月22日

 

注)ボアホール:ボーリング掘削機で掘ったポンプ式の井戸

  Koforidua:私が2年間滞在していたガーナの町

  Donation:寄付

  日本のお客さん:日本から私のお客様がツアーでざわざわ遊びに来てくださったのです。  

  シェフ:校長

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