高坂和導手記 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代です。

2015年、竹内文書の仕事始めの日です。
中矢先生主宰の玉響2月号には載せる記事題材を何にしようかと年末より考えていました。
ふとリビングにある書棚を開けますと、1冊の縦書きのノートが出てきました。
これは確か、以前に私が資料を探していた際に出てきたノートで、高坂和導の自筆のものでしたので、後日読もうと思い書棚に入れておきながら忘れていたものでした。

縦書きノートに彼の想いが綴られていました。

まずは崇教真光の岡田光玉氏、恵玉氏との昭和49年6月2日の流通センターでの会見から始まり、6月9日から熱海元魂座での高坂の滞在、6月12日には夜、恵珠氏とUFOを一緒に呼んだ想い出などが綴られています。その当時は、神殿その後まもなく岡田光玉氏が急死されます。その直前まで高坂は熱海元座に一緒におりました。なぜ高坂和導はそのような場にいたのでしょうか。それは竹内文書の研究家だったからです。

さてそれとは別に現在の中国人のルーツが磐城の国より支国にゆくとの記録が竹内文書にあり、そこを現地調査をし祭典を行ったという内容の手記がでてきました。これは実にタイムリーな話題です。何と昭和62年、つまり今から30年近く前のことでした。福島県のいわき市、つまり現在の皇祖皇太神宮がある北茨木市のすぐ北です。

ここを早速調べてみたいと思います。