平成29年6月2日午前

熊本市内にて、不動産業を経営される
正神之会ご縁者様のご依頼により、
熊本市内の、とある分譲住宅地にある
"井戸の祓い"を、執り行いました。

みなさまは、
井戸を粗末に扱うと祟られる・・・
とか、
井戸は祟りが怖いから潰したり埋めたりしてはいけない・・・

などのお話しを、お聞きになったことはありますか?
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(資料画像です)

今回ご依頼いただいた一件も、神様を強くご信奉なさる、不動産業の社長さんのご依頼でありました。

仕事上、様々な土地や家屋を見て扱うからこそ、目に見えない不可思議な心霊世界を強く感じられるのです。

そして、その、目に見えないモノを粗末に扱うことで、
大事なお客様や、実際にそれに携わる自分自身にも、
何らかの悪い影響が及んでくることを、これまでの経験の上から、ご存知であるのです。
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(この度行いました井戸の神々の浄化神事の風景です。祭壇の先に、対象の井戸があります)


今回、浄化のご依頼をされた「井戸」は、一帯の、新築分譲住宅の造成工事に伴い、
残念ながら、その役目を終えます。

私も、
これまで、たくさんの方のご依頼を受けて、井戸の清めを行ってまいりました。

井戸に宿る神々のお御霊を清めて、
長い間お勤めくださったことへ感謝申し上げ、
親神様にお願いをして、
対象の井戸の神々のお役目の任を解き、
高天原へご昇天(ご返上)いただく為に、
「御霊ご昇天神事」を執り行ってまいりました。

これまで、多数の、井戸の神々の清めを行いました。


ご相談者の井戸のお清めについてのご依頼のご事情は、以下のような内容です。



家の改築で、どうしても埋めなければならないとき、

使用していない古井戸の処分に困って、仕方なくそのまま放置していたが、祟りがあるのではないかと、常日頃から気にしていた、

家の増改築を過去すでに施工していて、やむなく床下に放置してあるが気になる、

粗末にはできないから、井戸の前にお社を置いて、日常的にお供え物をあげて参っているが、これで良いのか

また、井戸を埋められたと思われる場所から、ホースのような管の先口が出してある家もありました。
その根拠は、何やら、井戸に管を装着して"空気穴"を設ければ、"息抜き"ができるから、蓋をして埋めても構わない・・・という理由からだそうで、しかもそれは、霊能者や祈祷師の指示で、そのようなことをしたのだと、そうおっしゃるご相談者もありました。
信じられない思いがいたしました。


ご相談者様の依頼を受けて、実際にお宅に訪問して見ると、その井戸の処遇や有様は、まさに"悲喜こもごも"でありました。

私の神事でも、ご相談者の身の上に
"井戸の神様が祟っている"
という、審神者術の結果が出ることはしばしばで、

しかも、例え、現在の住まいに井戸が無くても、ご本人がその事実を知らないこともあり

また、移転した前住所の家や、
実家(生家)、
父母や祖父母の家にあった井戸が、
何かの災いを発していることもあるのです。

また、お隣の家の井戸が、ご相談者に祟っていたケースもあります。

家の敷地というのは、人間が決めているルールなだけで、
神様には関係ありません。


また、かつては「共同井戸」といって、その地区の住人が、同じ井戸を使用している時代もありました。
その共同井戸が粗末に扱われ、ご相談者に重い霊障を及ぼしていたケースもありました。

以前、井戸にまつわるお話でこんなこともありました。
数十年ぶりに住まいの建て替えをしようと、これまでの古い家を取り潰し、新築のための基礎工事の段階で、
初めて、古井戸があったことを知ったのです。
しかも、長年住んでいた自宅の床下に・・・。
その井戸は、簡単な皿板を被せてあっただけで、長年に渡り放置され、見た目では、どこにそんなものがあるのか見分けがつかない状況であったそうです。

工事業者さんが、土地を掘ろうと、重機を入れた途端、蓋が割れて、その弾みで、重機の脚が取られて、大きく傾いたそうです。
さぞ、業者さんも突然のことで、びっくりされたことでしょう。

そうなんです・・・。
実は、家の方、どなたも、知らなかったんです。
まさか、床下に、井戸があるなどとは、夢にも思っていなかったのです。

家人はその後、その発見された井戸にどんなお心を配ったのか不明ですが、
私には、その工事業者さんからご依頼がありまして、祟りが及ばぬようにと、お祓いをさせていただきました。

目に見えないところに気を配る、優しい業者さんで、私が長年お世話になっている
正神ご縁者様の、息子さんでした。

井戸は祟るからと恐れるがあまり、
手をつけずに放置してしまうから、こんな事件が起きてしまうのです。

「井戸」は、明らかに
人間の意思とは異なる、不可視の世界の者の「心」が宿ります。

その井戸に宿る、何者かの「心」が、何かの「思い」を、訴えてくるのです。

それが時に、激しく怒りを持ちながら・・・。

その、激しい怒りの感情が、家人や周辺住民への「災い」となって
様々な「祟り」を見せるのです。

「井戸の霊障」は、家人の生死に関わるような、病気や怪我、家庭不和、家人の早死になどに、主に出てくるようです。

みなさんが耳にされた
「井戸の祟りは怖い」というお話は、まさに、本当のことなのです。

これを「古井の祟り」と言いいます。

ひとたび、井戸の神の祟りが及べば、大変厄介であることを、昔の人は、経験上知っていたのです。

ですから、おいそれとは、埋めたり潰したりできなかったのです。

しかし、"触らぬ神に祟り無し"的な考えで
こっそりと蓋をして
まるで
「無かったことに・・・
見なかったことに・・・」

なんて、どこかのCMのような調子で考えては、いけません。

前述の工事現場のような、不幸な事件が起きてしまうきっかけとなるのです。

ましてや「井戸の息抜き」などと言って、管(ホース)をつけて、蓋をかぶせておけば祟らない

などという、安直な考えだと、霊障は免れません。

井戸を放置するにも、床下にそっと隠すにも、埋めてしまうにも、
その取り扱いにあたっては、どのような状況にしろ、
井戸に宿る「古井神」に、心を手向けて、
人間の希望を申し上げて、
最終的にその許しを得なければならないのです。

人間の都合で掘っておいて、
枯れることなく綺麗な水を出して欲しくて、大事大事とお祭りしておいて
人間の、それまたご都合で、
"もういらぬ邪魔だ"と、
理不尽に、埋めたり潰したり放置したりするわけです。

これでは、とても、井戸の神々に心を手向けたということにはなりません。

息抜きをしておけば大丈夫・・・

だなんて、もってのほかです。

では、どうすれば、古井神の祟りを鎮めることができるのでしょうか。

どうすれば、井戸の神々の許しを得ることができるでしょうか。

基本は、井戸の神様に、
"お断り"をした上で、
許しを得なければならない
と、いうことですが

しかしそれは、やはり、私どものような
「神伺い」を生業にするものが
行うべきです。

「井戸を潰して良いか否か」

これは、あくまでも、

井戸に宿る「心(神)」に語りかけて、
その「真意」(神々の状態)を図り、
明確なこちらの思い(願い)をしっかりと伝えて、
「了承」を得た上で、
実際の「埋める」などの行為を成さねばなりません。


空気穴を装着すれば大丈夫・・・

なんて、井戸に宿る「神々」が、それを了承するとは思えませんし、
実際に、空気穴を取り付けて放置してある井戸の神の祟りを受けているケースは、数多くありました。

この行為は、井戸に宿る神々の心を思い図ることとは程遠く、
ただ、人間の浅知恵で言われたもので
人間の世界だけで通じる虚言であります。

息抜きなど、神様の世界では、一切通用しません。

いずれにしましても、
井戸に宿る神々には、私たち祈願者の「心」を、誠意を持って伝えなければなりません。

すなわち「真心」を伝える・・・

ということなのです。

その真心とは、「感謝」の心が、前提です。

「恐れる・怖がる」
そんな心が念頭であってはいけません。

こんな心で祈りを手向けると

「これまで世話になっておきながら、
なぜ、恐怖を抱きながら、祟りを恐れるのだ!
自分勝手な事を言うな!」

と言わんばかりに、怒りを持ってしまうのです。


人の心と

神の心・・・

一切、駆け引きは許されません。


お願いことをするなら、真心を込めて行わねばなりません。

心の駆け引きは、下心が見え隠れするがゆえに、神々へは通じないのです。

邪気を持って、神々に向き合ってはいけないのです。

真心を尽くすのに大事なことは、
心から「感謝」を申し上げることです。

その上で、私どもの事情を汲み取っていただき
鎮まっていただくようにと、順序立てて願うのです。

それが、神々の許しを得る為に、最も大事なことなのです。

いわゆる、神様にご理解いただく為の「努力」を成さねば、
了承を得るにはそう簡単ではない
と、いうことなのです。

心の世界のことですから、当然のことです。

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神々は、人の下心を、敏感に読み取ります。
神通力があるのだから、当然です。

また、井戸の神々の了承を得る為に、更に大事なことは

井戸の神様が
「正常」でなければならない、
ということです。

どう言う事かと申しますと
すでに、井戸に宿る神々が、人間の心無い無謀な扱いを受けて、

すでに「怒って」いた場合、

すでに、なんらかの「霊障」を及ぼしていた場合、

すなわち、井戸の神々のお心が
「異常」な状態だった場合は、
どんなに、真心を尽くして感謝申し上げ、私たちの願いを申し上げても、

すでに"聞く耳持たず"

という事態に陥っているのです。


その場合は、
神々のお心を "清めて鎮める"為の、神術が必要になります。


それが「審神者術」と言う術です。


対象の井戸の神々は、
果たして「清らか」なのか、
正常なお御霊なのか。

もし、井戸の神々が「祟神」と化していたら、
私どもがいくら願い事を申し上げても、
聞き届けてはくれませんし、逆に、更に怒りを増して、祟りを強める危険もあります。

ですから、
果たして、井戸の神々が、清らかであるのか
怒りによって、穢れていないか

まずは、これを審神者術によって見極めて、
各々の状況に沿った、柔軟な神術を施さねばなりません。

そして更に、最終的に、
取り行いました神事により
私どもの願い事を、井戸の神々が聞き届けてくれたかどうか

を、再度、審神者術を施して、確認を得なければならないのです。

そのような段取りを組みませんと
相手は目に見えないものですし
また、かけがえのない「神様」ですから、

心と心で通じる為の、慎重な行いと、十分な配慮が、何よりも大事ですし
その考え方そのものが、
審神者にとって、必要不可欠であるのです。


では、
その井戸の神々「古井神」の正体は、一体なんであるのでしょうか?

水神様ですか?
龍神様なのでしょうか?

そして、なぜ、それらの「古井神」は、人々の理不尽な振る舞いに腹を立てて、
祟神と化すのでしょうか?

それをご説明するには、
それこそ、長い長いお話になります。

自然界の恵みと、様変わりした人々の暮らしに、言及しなければなりませんし
これまで、私たち人間が備えていた
「神感」(神様を感じる感覚)の変化(衰えたこと)のご説明も必要になります。

また、
私が、どのような神術と審神者術を使って、それらの神様の浄化をしているのか、ということも、
ご説明したいと考えております。

しばらく、お時間をください。

頑張って、書き出してみます。

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