ズビグネフ・ブレジンスキーさんが亡くなったというニュースが報じられていました。

 アメリカの政治学者で、リンドン・ジョンソンの大統領顧問、カーター政権の大統領補佐官を務められた方でした。

 

 ブレジンスキーさんのことで覚えていることがあります。

 1970年11月末、わたしがコロンビア大学に留学中、ニューヨークでものすごい雪で30cmくらい雪が積もっていたときです。ちょうど、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で切腹自殺をしたあとでした。

 アメリカの日本学者であるドナルド・キーン氏が三島由紀夫の思い出話をするというので、日本人が集められました。そのとき会議の事務局をつとめていたのが、ブレジンスキーさんでした。

 当時ブレジンスキーさんは40代後半、年齢的にはまだ中堅の学者の頃です。動きの活発な方だなあ、という印象でした。

 

 その後、彼はカーター政権の大統領補佐官に就任し、国家安全保障問題を担当します。優秀な方をきちんと登用する、アメリカ社会の凄さにびっくりしたのを覚えています。アメリカ社会の一側面を肌で感じました。

 

 彼はポーランド系の移民であった。そんな彼がそのように活躍できたというのも、アメリカ社会の強さだと思います。