加藤紘一先生がご逝去されました。御遺族、関係者の方々のお悲しみは察するに余りありますが、私自身も大変なショックを受けています。国内では首相クラスの政治家として嘱目されていたのは勿論のこと、海外からもネイティブ同様の英語で会談できる首相候補の政治家として注目されていました。加藤先生との数々の思い出が脳裏をよぎっております。

 

 10数年前、私は加藤先生の随行でダボス会議に出席しました。行きの飛行機の中で、加藤先生がスピーチされる原稿の読み合わせを3回ほど行いました。私はアメリカン・イングリッシュを使いますが、加藤先生はキングズ・イングリッシュでしたので、「アメリカン・イングリッシュに慣れ親しんでいる人に向けては、こういったニュアンスの方が理解しやすいのではないか?」などと、加藤先生にアドバイスしたことがありました。

 スピーチ終了後、加藤先生は当時の米国財務長官ロバート・ルービン氏と後に財務長官となるローレンス・サマーズ氏と会談され、私も同席しました。両国間の経済外交に関する議論は2時間ほどにも及び、通訳を介さず4名だけでお互い腹を割っての大変充実した会談となりました。その後に行われた記者会見においても、加藤先生は諸外国の記者を相手に、完璧な質疑応答をなされました。この時私は会見の司会を行っておりましたが、加藤先生が海外においても高い評価を受けられている姿を目の当たりにしました。

 

 このことが、加藤先生の印象に残っていたのでしょう。その後、私のパーティで加藤先生にご挨拶をいただいたとき、加藤先生は「私は自分の英語についてあまり修正を求められた事はなかったが、唯一それを言ってくれたのはこの竹本くんです」と紹介していただきました。これを機に、その席上にいた国会議員の仲間たちは「竹本くんはそんなに英語が堪能なのか。」とご評価をいただきました。

 

 そして、これには面白い後日談があります。この数年後、加藤紘一先生、谷垣禎一先生、川崎二郎先生、私の4人で北京を訪問した時のことです。宿泊先のホテル従業員に、私の部屋の鍵を届けてほしいとお願いしたところ、その中国人の女性従業員はお茶を持ってきました。「キー(Key)」と「ティー(Tea)」を聞き間違えたのです。

 「なんだ、竹本くんの英語は大したことないじゃないか。」と、加藤先生が笑いながらおっしゃいました。私が「いや先生、あの従業員の英語の素養がないんですよ。」とジョークで返したら一同大爆笑となり、その後の会話が弾んだことを昨日のように思い出します。

 

 その北京では当時、中国の国会議員の間で「日本の次期首相は加藤紘一である」という噂が流れていました。そのため、中国のテレビ局より出演のオファーがありました。加藤先生はそれに気軽に応じられ、北京語にて堂々と自身のご意見を述べられました。

 

 このように加藤先生は、日本の内政外交共に大いなる貢献をされた国会議員であり、常に世界の情勢を念頭に、世界における日本の立ち位置を考えておられた稀有な政治家でした。

 加藤紘一先生のご冥福を心よりお祈りいたします。