今国会の閉幕により、民進党の参議院議員であった江田五月さんが、政界を引退されました。次の参院選に出馬しないという意向はすでに1月に表明されていましたが、こうして終わってみますと、やはり寂しいものです。

じつは私は江田さんと留学が同期でした。私はアメリカに、江田さんはイギリスに。国は別でしたが、同じ年に人事院の海外派遣制度で留学したのです(他には日銀総裁の黒田東彦さんも留学の同期でした)。

江田さんのお父さんであった社会党の江田三郎さんが、当時こういう旨の記事を書いてらっしゃいました。
「息子が留学することになったが、陰鬱な顔をしている。話を聞いてみると、留学には制度上、妻を連れてはいけないことになっている、というのだ。」と。
当時の国家公務員の留学制度では、家族を連れていくことはできない決まりになっていました。勉強に専念せよ、ということです。しかしこれにより、新婚直後の者でも留学するならば別れて暮らさなければならない、という制度になっていました。江田三郎さんは、「これはおかしな制度だ」とおっしゃっていたのです。
その後、制度が変わり、家族を連れて留学ができるようになりました。江田さんの意見が通ったのでしょう。


江田五月さんとは、その後も奇妙な縁が続きます。
彼は1977年から、すでに国会議員になられていましたが、1996年に議員を辞して、岡山県知事選に立候補されました。一方私のほうは、最初の衆院選の直後で、国会議員に成り立ての時期でした。
県知事選で江田五月さんの対抗馬は、建設省出身で私の後輩である石井正弘さん(現在、参議院議員)。私は一年生議員として、釜本邦茂さんらと一緒に、自民党推薦の石井さんの応援演説に行きました。私は演説で、こう話したのを覚えています。

「江田さんはやはり国政のほうが似合う人だ。岡山のことは、岡山に詳しい石井さんに任せたほうがいい」、と。

結局岡山県知事選は、石井さんが勝利しました。



江田さんはその二年後に国政に戻ってこられ、参議院議長、民主党最高顧問、法務大臣と、輝かしい議員生活を送られました。党も政策理念も異なる人ではありましたが、尊敬できる立派な政治家でした。

江田さんとは国会でお会いした時などによく雑談を交わしたものです。もう江田さんの姿を国会で見ることはないのだなと思うと、やはり寂寥たる気持ちになります。

 江田さん、お疲れ様でした。