113日の成人の日、国内で多くの若者達が新成人として新たな門出を迎えた日に、私の故郷河南町にて、若者達のある門出がありました。

 河南町を活動拠点とされている中学生の野球チーム「河南リトルシニアリーグ」の第24回卒団式でした。

 私もこのチームの相談役として、一言挨拶をさせて頂きましたが、監督・コーチ・在団選手は勿論の事、OB選手、卒団選手のご両親、そして河南町在住の方々も集まって、20名弱の卒団選手の門出を祝うという大変心温まる集会となりました。

 しかし、「河南リトルシニア」はアットホームな野球チームだけではありません。日本全国選手権大会優勝等、多くの実績を誇る日本有数の強豪チームでもあるのです。

 東京で、私の選挙区が南河内地区である事を人に伝えると、かつては「ああ、清原、桑田選手出身のPL学園がある所ですね」とよく言われましたが、今は「あの河南リトルシニアリーグがある所ですね。」と言われる事が多く、河南町の人間としても大変誇らしく思っております。

 地元の私が申し上げるのも何ですが、大阪都心部から離れている河南町を活動拠点とする「河南リトルシニア」は、野球技術を磨く環境としては、決して恵まれたものではないと思います。それにも関らず、立派な戦績を挙げておられる要因は何でしょうか。

 その答えの一つは、卒団選手一人一人に声をかけて、その門出を祝われていた、福田監督の姿にありました。福田監督をはじめとする指導者の方々の、おそらくは本業や私生活を犠牲とされてまで選手指導に打ち込まれた努力の成果であると思います。私は、その行為に深く敬意を表したいと思います。

 もう一つの要因は、ご家族をはじめとする地域の皆様で、彼らを支えた事にあると思います。私はこの地元の絆の強さに、喜びと誇りを抱いております。

 この文書をしたためている時、あるニュースを目にいたしました。野茂英雄が、史上最年少で日本野球界の殿堂入りを果たしたというニュースです。私も心より拍手を送りたいと思います。

 私は昔、ミッキー・マントルの600号ホームラン記念レセプションを、サンフランシスコのキャンドル・ベル球場で見たことがあります。当時ミッキー・マントルはサンフランシスコ・ジャイアンツの3番を打っていましたが、4番は更なる強打者ウィル・マッコービという身長約2メートルの大男でした。またブルーと言う身長2メートルを超す剛腕ピッチャーが存在し、彼の投げる球は160キロを超えるスピードで、それを目の当たりにした私は、投手の手を離れた瞬間に球がキャッチャーミットに収まっているようにしか見えませんでした。

大リーグとは、日本の野球選手では到底敵わない世界であるという強い印象を、私は持ちました。村上雅則投手が大リーグで5勝を挙げましたが、それはあくまでもイレギュラーな事で、現にアメリカ国内でも、日本人投手にアメリカが敗れたという印象は持たれていませんでした。それだけに、野茂の大リーグ登場は衝撃でした。トルネード投法を駆使し、ノーヒットノーランを2度達成という輝かしい功績は、アメリカ人の日本野球を見る目が変わった事は勿論、日本人そのものを見直すきっかけともなりました。

 この野茂の功績に対し、私は文化功労賞、いや文化勲章を授けるべきであると考えております。

 我が河南リトルシニアリーグの卒団者からも、野茂に匹敵するような選手が登場するのを、心待ちにしております。