河内長野市 観心寺にて執り行われました「楠公祭」にお招き頂き、参加してまいりました。
この楠公祭、大楠公が湊川の戦いにて亡くなられた5月25日に執り行われるのですが、奇しくも旧暦の4月25日は、大楠公の生誕日でもあります。即ち、新暦で言えば5月25日なのです。
楠公祭の会長は、南海電鉄会長の山中氏が務めておられますが、私も顧問を拝命しております。以前は、塩川正十郎先生が勤めておられました。
それはともかくとして、楠公が亡くなられて667年経てからも、彼の功績は、尊王の精神の現われとして、また我々日本人のあるべき姿として、受け継がれています。
銘記すべきは、この楠公祭に於いて、詩吟や琴が興じられる等、地元の皆様に支えられていることです。また、遠方よりも多くの方々が参加されております。この気ぜわしい世の中にあって、皆さんは日本人としての「心の拠り所」を探しておられるのではないでしょうか。そんな方々が「日本人のアイデンティティ」として、大楠公を偲んでおられるのではと思いました。
私も、幼少より、この地元の「英雄」を誇りに思い育ってまいりました。
「青葉茂れる桜井の…」 桜井の訣別と呼ばれるこの唱歌は、大楠公の義に殉じた生涯を悼む歌ですが、私はこの唄を忘れることは決してないでしょう。
式典は終了し、楠公の魂も天に帰っていかれました。
大楠公、言わば、中世のある田舎の一侍の生き様が、長年に渡り我ら日本人の灯台の灯りのように照らしていることを、この混沌の時代に生きる我々は、決して忘れてはならないと肝に銘じる一日でした。