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先日、甲子園球場での大阪桐蔭対青森光星学院の優勝決定戦を観に行った。


光星学院の3塁アルプス席に入った。理由は、私は勿論大阪出身であり大阪を愛する人間として、大阪を応援するのは当然でありその気持ちも多いにあるわけだけれども、今回ばかりは光星学院に強い思い入れがあった。


実は面白い経緯(いきさつ)があった。私の故郷南河内の大阪狭山市の後援会のお孫さんが甲子園で大活躍をしている。そのテレビを興奮してみていた私に話しかけてこられたのが我が党の副総裁大島理森先生であった。


聞くと光星学院は、青森県八戸市にあり、そこを基盤としている大島先生も応援しているのだと言う。今度甲子園まで応援に行くと伝えると、是非私の分まで応援頼むと言うことになった。


そして、バス2台100名を越す同郷の大阪狭山の方々と一緒に声援を送った。なんと光星学院の3番バッターであり、キャプテンも務める田村龍弘君、また4番の北條史也君は、ともに大阪狭山市の出身なのである。


こういった事情もあって応援に行った訳であるが、実はこの戦いは、3度目の挑戦である。去年の夏の決勝戦、今年春の選抜甲子園の決勝戦、そして今回というわけである。


春の選抜は、長打を絡める2桁安打の大阪桐蔭が打撃戦を制した。


今日の試合は、高校野球の中に大リーガー藤浪が1人入っているような感じであった。この投手力を除けば、光星学院は互角以上の戦いをしていたように思う。


若い頃から野球に打ち込み高校に進学する際、青森を初め九州、四国、大阪以外の全国各地域に野球留学をし、そこから甲子園出場、全国制覇を目指す、それが若人たちにおける気概であり、人生設計である。


野球にかける自分自身の人生その心意気とそれを見守る両親をはじめ、ご家族達の大変な決断は実に大したものだと思う。


私は3大会連続して声を嗄らして光星学院の、そして東北勢の悲願である白河の関越えを果たすべく、初優勝の応援に駆けつけたわけだが、その願いは叶わなかった。


私の地元秘書が大阪桐蔭高校出身ということもあり、今回の春夏連覇と言う偉業を成し遂げた大阪桐蔭には本当におめでとうと心から言いたい。


観ていて思ったのはこの藤浪投手、150キロ以上の玉をスタミナが切れることなく投げられる力は、まさにプロ野球なみ、というより大リーグでも通用するのではないかということだ。


思い起こせば、40年近く前、私はサンフランシスコのキャンドルスティック球場で、当時、ホームラン王だったウィリー・メイズの600号ホームラン記念試合を観に行ったことがある。


サンフランシスコジャイアンツの4番バッターはウィリー・マッコビーと言う2mをゆうに越す大男で、3番バッターがこのウィリー・メイズであった。

投げるピッチャーはブルーという当時160キロクラスの球をびゅんびゅん投げる大きな男であった。


ゲームを観ていたけれども、あっという間にボールがキャッチャーミットに入っている。これでは、日本のプロ野球選手ががんばってもいくら無理だろうなという思いを強くした。


当時、南海ホークスで、新人王を取った村上という優秀なピッチャーがいた。これが、サンフランシスコジャイアンツに雇われて、そして5勝ほどしたが、その球速たるや、メジャーリーガーとは比べ物にならないレベルであった。日本のマスコミでは大騒ぎをしていたけれども、アメリカでは問題にされていなかった。


その後、野茂が大リーガーに挑戦し、新人王を取りノーヒットノーランを何度もやり、そしてスピードとパワーで大リーガーを翻弄させた。これを観たアメリカの野球ファンは、日本の野球と言うものを認めるようになったのではないかと思う。


そういう意味で、当時国民栄誉賞を与えるとすれば、野茂こそ最適任者であった。なぜならば、アメリカ野球の価値観の中に日本野球の価値観が同等視されだしたきっかけの先陣こそ野茂投手であったと間違い無くいえるからだ。


そんなことにも思いをはせながら、プレイボールから、ゲームセットまで決勝戦を観戦した。


結果は、3対0で大投手藤浪君の健闘が目立った試合ではあったけれども、春夏同一カードの決勝戦というのも痛快な、また甲子園決勝戦にふさわしい試合であったと思う。


高校野球はいろいろな事を考えさせてくれるチャンスである。


青春の花がそこに咲き、そして散っていく、この人生のドラマを見るだけでも、我々も忘れていたものを思い起こさせてくれる。多いに価値があるものだとつくづく思った。


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