ヴァスコ・ダ・ガマの就活 | T-MOTOの日曜映画

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日曜日のショートムービー製作

リクルートのリクナビNEXTのメルマガに就活用のレジュメの書き方の見本として、ヴァスコ・ダ・ガマの例が紹介されていて、面白かったので引用します。

■喜望峰経由のインド航路を確立し、インドに商館を開設

 1497年【37歳】:インド航路を発見するために組織された船隊の司令
         官に
任命され、大勢の観衆が見守る中、4隻の船隊を
         率いて、
リスボンを出発し、「第1回航海」をスタートさせ
         ました。
そして約4カ月かけて、アフリカ大陸の南端で
         ある喜望峰を
通過しました。
 1498年【38歳】:壊血病を発症して命を落とす船員が出始めたり、
         現地住民
から海賊の疑いをかけられ交戦したりと
         いった、トラブルを
乗り越え、ポルトガル人未踏の
         海域であった、アフリカ東部
沖を北上し、インド洋を
         渡り直接インドへ向かい、その後、
インド南西部の
         都市カレクト(カリカット)近郊に到着
しました。
 1499年【39歳】:リスボンに帰還し、約2年にわたる「第1回航海」を
         終えました。この功績が、ポルトガル王・マヌエル1世
         から
賞賛され、本来は王族や貴族だけに許される
         「ドン」の称号
を授与されました。
 1500年【40歳】:「インド提督」に任命されました。
 1501年【41歳】:名誉職ながら「終身インド艦隊総司令官」に任命
         されました。
 1502年【42歳】:15隻の船隊を率いて「第2回航海」に出発し、
         友好国との
交易などを行いました。

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 ポルトガルがヨーロッパの他国に先駆け、アフリカ南岸の喜望峰を経由する航路を確立するのに際し、船隊の司令官として現場を任され、インド航路を開拓しました。私たちポルトガル人にとって、未踏の海域を進んだ第1回航海は、4隻で出航するも帰国できたのは半分の2隻、乗組員も147名のうち、帰国できたのは55名と、困難を極めました。
 そして第2回航海では、香辛料の取り引き拠点として、コチン(コーチ)とカナノールに商館を開設し、さらに香辛料の価格に関する条約を結ぶなど、ポルトガルの東方進出において、大きな足跡を残したと自負しています。