マナーではなくて、テレビの前の視聴者に「これから食べますよ」(これから料理の感想を伝えますよ)という合図を送るための番組上の演出ですよね。・・・・「自分がつくった料理を食べる時もどうして『いただきます』と言う」
岡田斗司夫が「いただきます」の歴史について徹底的に調査しているのですが、「いただきます」は地方に方言がないことからも昔からあったわけではなく、地域差もかなりあるようです。
今のテレビドラマでは「いただきます」が氾濫してますが、1950年代の小津安二郎の映画では家庭で子どもらは「いただきます」なしで食事をしていますし、親はそれを咎めてもいません。
たぶん、食事前の挨拶としての「いただきます」が全国的に普及したのは、戦後の学校給食が始まった時代以降、テレビが登場した時代以降なんじゃないでしょうか?
さらに言うと、挨拶の「いただきます」以前に、食事をすることを「いただく」という表現をすること自体、そんなに昔ではないようです。
柳田國男によると食事を「いただく」という表現は、「近頃の普及」だそうで、その元は「料理法の放送者」(戦前はテレビはないからラジオの料理番組)ということです。
定本柳田國男集第十九巻より
イタヾキマスといふ言葉の近頃の普及も、大半はこの考え方に伴なふものゝやうですが、同時に他の一方には是をたゞ女の言葉、又は上品な言葉とばかり考へて、やたらに使ふ人の多くなつたことも認めなければなりません。昔の通りに頭の上にイタヾク人はもう無くなつたといふこと、ひどいのはごろりと寝ころんで、イタヾイて居る人もあるという事實を、心づいて見なければなりません。イタヾクといふ語の濫用の元?は、料理法の放送者であつたように私などは思つて居ります。
「いただきます」は、戦後の学校給食で一斉に食事をする合図を送りたい都合と、ラジオやテレビの番組作りの演出上の都合などの理由で普及しただけで、マナーとは関係ないと思いますね。
日本の食事マナーで不思議に感じることは?
日本の和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、海外では和食に対する関心が大きくなっているよ..........≪続きを読む≫