必要最低限のサンプル数 | T-MOTOの日曜映画

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日曜日のショートムービー製作

このところ、人間一般に対する見方が下方修正に次ぐ下方修正で、以前見たドキュメンタリー番組で「人間なんて所詮動物ですから」と言っていた老人、こんな老人にはなりたくないなあ、と思っていたタイプの人にまっしぐらという感じです。

でもよく考えてみたら、知り合いの数なんてたかが知れているわけで、これで人間全体を評価するのは統計学的に間違っているんでしょうね。

ずっと昔、サラリーマンをやっていた頃、ある朝、満員の小田急線で通勤していて、車内暴力を目撃しました。座席に座っていた若い女性をその前に立っていた若い男が叩いていたのですが、周囲の乗客はまるで無視、目を向けようともしません。下北沢駅に着いてその男が降りようとしたので、私はとっさに男の手首をつかんで降りるのを阻止しました。しかしその後の処理をどうしたらいいかわからなかったので、二人とも黙ったままの無言の攻防が続き、結局、ドアが閉まる寸前に私の手を振り切って逃げ去っていきました。

もうひとつの経験はそれより昔です。別の会社に南武線で電車通勤していた頃、目的地の駅を降りようとしたら、若い女性に絡んでいる泥酔した男がいて、そのまま女性を男が追いかける形で電車に乗り込んできたので、駅に降りずそのまま電車の乗り続けてちょっと関わりました。このときは、最初の例とはまったく対照的で、近くにいた乗客たちの連携プレイでうまく対処できました。足早に他の車両へ逃げようとする女性と、追いかける泥酔男の間に、男性サラリーマンがすっと入ってきて男を阻止。私はそしらぬ顔をして後ろから泥酔男の服を引っぱっりました。ちょっと引っぱる力が入りすぎて男は転倒。なぜ転んだのかわからない顔をしている泥酔男に、座席に座っていたおばさんが「まあまあ、かわいそうに。座ってください」と声をかけて席を譲って、男はちょこんと席におとなしく座って、万事解決。

前者と後者のケースの違いは、乗客の平均的な性格が「たまたま」異なっていたとしかいいようがないですし、どっちか一方の例のみで、人間全体を評価してしまうのは大間違いというものです。

私の今の知り合いも、直接お金のやりとりをしている仕事関係の人ばかりですので、層に偏りがありますし、一人を除いて友達というほどの関係でもありませんでした。

と、考えれば、人間一般がどうのと考えるのは馬鹿げていますけどね。

しかし、それにしても、つまらない。