京都市交響楽団【首席客演指揮者 就任披露演奏会】第689回定期演奏会を、京都コンサートホールにて。
ヤン・ヴィレム・デ・フリーント(首席客演指揮者)
デヤン・ラツィック(ピアノ)★
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58★
(ソリスト・アンコール)
ショスタコーヴィチ:3つの幻想的舞曲 Op. 5〜第1番
シューベルト:交響曲 第1番 ニ長調 D.82
(アンコール)
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク〜第3楽章
私がCDをたくさん買っていたころに大好きだったレーベルに、1990年に設立されたチャンネル・クラシックスというレーベルがある。このレーベルから出されたSACDは録音も演奏も大変素晴らしかったのである。そのレーベルのミュージシャンの中にデヤン・ラツィック(1977〜)というピアニストがいて、数々の録音全てが素晴らしい演奏だったものだから、いつかこのピアニストを聴いてみたいと思っていた。2009年、2010年にも来日している(その後はわからない)が、私が実演を聴くのは今回が初めてだ。
今回のラツィックの演奏、予想通り、驚異的なレベルの素晴らしいベートーヴェンであった!
冒頭のソロを大きくふりかぶって弾き始めたのだが、出てくる全ての音は調和が取れており一点の曇りもない。録音で聴く彼の演奏と同様にとても端正な表現であり、第2楽章など、弱音の繊細な美しさは息を呑むほどである。第1楽章、第3楽章のカデンツァはなんと自作で、通常耳にするベートーヴェン自作のカデンツァではない。これが作曲家でもあるラツィックらしく凝った作りで、かなり技巧的であり、ロマンティックな要素も強かった。ちなみにラツィックが2009年に録音したこの曲でも自作カデンツァが演奏されている。
オーケストラがまた素晴らしい。12型(第1ヴァイオリンは11)という小編成ながら引き締まった響きで、木管の伸びやかな音色が素晴らしく、ラツィックのピアノとよく調和していた。
ラツィックに激しくブーを浴びせていたオジサンがいたが、カデンツァがよほど不満だったということだろう。アンコールは想定外のショスタコーヴィチ。録音では、彼が弾くショスタコーヴィチはチェロ・ソナタの伴奏しかないので、いつかリサイタルでショスタコーヴィチの独奏曲を聴いてみたい。
デヤン・ラツィックは天才音楽家で、ピアニスト、作曲家であると同時にクラリネット奏者でもあるらしい。クラリネットを今演奏しているのかは不明だが。10月にはウルバンスキ指揮の東響とラフマニノフの2番を演奏する。これも期待大。ラツィックはキリル・ペトレンコ指揮ロンドン・フィルとこの曲の録音をしているので、それで予習するのもよいかもしれない。
後半はシューベルトが16歳で作曲した交響曲第1番。前半のラツィックを期待してわざわざ京都まで行ったわけだが、後半の曲目を見てテンションが上がらなかったのは事実で、シューベルトの初期交響曲でもせめて2番か3番だったら…という思いがあったのだが…この4月首席客演指揮者に就任したばかりのデ・フリーントのシューベルト、予想以上に素晴らしかった。
前半同様11-10-8-6-4という小編成で引き締まった響き。ピリオド奏法を採り入れていたようで、きびきびとした音楽作りによってソナタ形式のお手本のようなこの曲を退屈せずに聴くことができた。デ・フリーントはオランダ出身で、古楽系アンサンブルであるコンバッティメント・コンソート・アムステルダムを創設した人なので、ある意味想定されたアプローチである。
長身のデ・フリーントは指揮台、指揮棒なしの指揮。やはりオランダ出身の名称、ユベール・スダーンが東響を振る姿を思い出した。アンコールは前日のフライデー・ナイト・スペシャルにおけるメイン・プログラムだったアイネ・クライネ・ナハトムジークの第3楽章。この表現がまた颯爽として素晴らしく、前日も行けばよかったかもと少々後悔。
京都市響、単体で聴くのは、実は初めてである(2006年に東響との合同演奏「グレの歌」を聴いたことはあったが)。昔は京都市直営で財政が安定している反面、それに安住している演奏レベルだ、などという批判を聞いたことがあったが、今回その演奏を聴く限りなかなかのレベルである。
そして1995年完成の京都コンサートホールも初めての訪問であった。どういうわけか行く機会が今までなかったのだ。建築設計が磯崎新アトリエ、音響が永田音響設計で、3階正面で聴く限りバランスがよく適度な残響で悪い印象はない。シューボックスタイプだが、よく見ると左右非対称で、パイプオルガンは右側に寄っているし、バルコニー席も左右でちょっと形状が違う。
この日の京都は湿気が少なく晴天で、一年でも最高の天候ということだった。
総合評価:★★★★☆