ヴェルディ《アイーダ》(演奏会形式/字幕付)を東京文化会館大ホールにて(17日)。

 

指揮:リッカルド・ムーティ

アイーダ(ソプラノ):マリア・ホセ・シーリ

ラダメス(テノール):ルチアーノ・ガンチ※

アモナズロ(バリトン):セルバン・ヴァシレ

アムネリス(メゾ・ソプラノ):ユリア・マトーチュキナ

ランフィス(バス):ヴィットリオ・デ・カンポ

エジプト国王(バス):片山将司

伝令(テノール):石井基幾

巫女(ソプラノ):中畑有美子

管弦楽:東京春祭オーケストラ

合唱:東京オペラシンガーズ

合唱指揮:仲田淳也

 

東京・春・音楽祭の常連である巨匠リッカルド・ムーティは1941年生まれの82歳。

カラヤン、ベーム、バーンスタイン亡き後の世代で音楽界を牽引していたスター指揮者たちのうち、アバド、マゼール、小澤、ハイティンク、ヤンソンスなどはすでに亡くなり、その世代のスター指揮者で現存しているのは今やズービン・メータ(1936〜)、ダニエル・バレンボイム(1942〜)、そしてムーティぐらいになってしまった。

そのムーティが得意とするヴェルディを、21世紀の今日、東京で聴くことができることにはただただ感謝しかないだろう。

そのムーティの指揮姿は82歳とは思えないぐらいにしゃきっとしていて、背筋も伸びているし、身体の軸がしっかりと固定されていて安定感は抜群。さすがに昔ほど動きは大きくなくなっているものの、ここぞというところでオーケストラからエッジの効いた音を引き出すその技術はさすがだし、歌手を含め全てのプレイヤーが巨匠の棒のもとで完全にコントロールされているのがよくわかる。昔に比べると棒は重くなっているけれど、劇的表現はさらに深みを増し、特に第3幕、第4幕の心理描写が素晴らしい。

 

14型のオーケストラは在京オーケストラの若手メンバーの顔がちらほら見えていて、コンサートマスターはN響郷古氏。かなり年齢層が若いメンバーで構成されているのは例年通りである。技術があり、フレキシビリティにあふれたオーケストラがムーティの棒に機敏に反応して切れ味鋭い音を奏でるのは非常に小気味よい。第2幕、アイーダトランペットは各4名、ステージの左右端にて吹奏。

 

さて独唱陣。あまり強烈な自己主張がある歌手はムーティに選ばれないものと思われるがまさにそういう傾向の歌手が多かった。

私が名前を知っている歌手はアイーダを歌ったマリア・ホセ・シーリのみ。なんで名前を知っているかといえば、2009年のバレンボイム指揮ミラノ・スカラ座来日公演の「アイーダ」で同役を歌っていたし、2015年新国立劇場「トスカ」でタイトルを歌っていたし(そのときは第1幕で降板)、他にも来日公演でいくつか聴いているからである。ところが、そのシーリが歌ったアイーダ、これがいただけなかった。覇気が感じられず、ヴィブラートがきつめで精彩を欠いた歌唱。シーリはアイーダを150回以上歌っているそうだが、すでに旬を過ぎたということか。

ラダメス役ルチアーノ・ガンチはクロディアン・カチャーニの代役。第1幕「清きアイーダ」では高音が出づらくはらはらしたし、その後もちょっと高域に不安がないわけではなかったが、能天気にならない上品なテナーで声の抜けもよく、声質はラダメスに合っている。

歌手のなかで最もよかったのはアムネリスを歌ったユリア・マトーチュキナで、おそらく会場の多くの聴衆がそう思ったことだろう。引き締まっていて凜としているクールな声質がまさにアムネリスにぴったりで、またムーティの美学にも合っていたのではなかろうか。この人の声でエボリ公女を聴いてみたいものだ。

ランフィス役ヴィットリオ・デ・カンポはシャープな低音が心地よく、アモナズロ役セルバン・ヴァシレは第3幕娘を脅すときの感情表現が見事。

 

合唱は東京・春・音楽祭常連の東京オペラシンガーズ。力強さはもちろんなのだが、細やかなニュアンスが見事で、今回の公演に向けてよくトレーニングされているという印象を受けた。

 

平日午後だというのに客席はほぼ満席。みなさんいったい仕事はどうしたのだろうか(ってオマエもだよっ!と言われそうだが)。終演後の撮影が原則OKな東京・春・音楽祭だが、今回はNG。皇帝ムーティはやはり別格なのだ。

 

14時開演、第1幕あとと第2幕あとに休憩が各20分あり、第4幕が終わったのは17時20分頃。同時代を生きたワーグナーとヴェルディだが、ヴェルディのオペラはワーグナーに比べるとずいぶん短く感じられる。

 

総合評価:★★★★☆