ボストリッジ、アレグリーニ、ドレイクのリサイタルをトッパンホールにて。

 

イアン・ボストリッジ(テノール)

アレッシオ・アレグリーニ(ホルン)

ジュリアス・ドレイク(ピアノ)

 

シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 Op.70[アレグリーニ、ドレイク]

シューベルト(詩:ゲーテ):

はじめての失恋 D226/野ばら D257/ガニュメデス D544/

ミューズの子 D764/さすらい人の夜の歌II〈すべての山頂に〉D768/魔王 D328

[ボストリッジ、ドレイク]

シューベルト:流れの上で D943[ボストリッジ、アレグリーニ、ドレイク]

パーセル(ブリテン編):夕べの頌歌[ボストリッジ、ドレイク]

パーセル(ブリテン編):女王に捧げる哀歌[ボストリッジ、ドレイク]

ブリテン:事の核心[ボストリッジ、アレグリーニ、ドレイク]

(アンコール)

イグナーツ・ラハナー:遠く去った人に

 

英国の名テノール、イアン・ボストリッジと、アバドが創設したモーツァルト管のホルン奏者であったアレッシオ・アレグリーニ、そして2014年のトッパンホールでボストリッジと共演した、ピアノのジュリアス・ドレイク、この3人のリサイタルである。

テノールとホルン、ピアノという編成はなかなかないわけだが、シューベルトとブリテンがこの編成の曲を書いているとは。シューベルトとブリテン!まさに、ボストリッジにうってつけの作曲家だ。

 

冒頭はホルンとピアノのためのシューマンの作品。かなりの技巧を要すると思われ、さすがのアレグリーニでも若干の乱れがあっただろうか。

 

続いてテノールとピアノによるシューベルトの歌曲。やはりボストリッジの伸びやかで知的な歌唱でシューベルトを聴くと、その美しい旋律が心に染み渡る。そして、彼の歌唱はシューベルトの音楽にさらなる格調高さを与えるのだ。

それにしても、ボストリッジのドイツ語の発声はかなり独特。大学のドイツ語の授業で習った「野ばら」にしても、無音からふわっと沸き立つようなドイツ語で、歌詞が聴き取りづらいと思うことすらある。もっとも、英語で歌われた後半のブリテンですらそう感じられるところがあったから、ドイツ語だからというわけでもなさそうだ。ドレイクのピアノがまた非常に表情豊かかつメリハリが効いていて実に素晴らしい(特に魔王)。

ホルンを加えての「流れの上で」、ホルンが加わることによって歌詞の内容がひときわ引き立たされていた感がある。ホルンの繊細な音、テノールよりでしゃばることがなく控えめなのがよかった。

 

後半は英国作品。パーセルが作曲し、ブリテンが編曲した歌曲2曲、発表された曲順とは異なり英語の「夕べの頌歌」が先に歌われた。

ブリテンはパーセルのほか、師匠であるフランク・ブリッジを例外として英国の作曲家を評価していなかったとプログラムにあったが、確かにパーセルはバッハ以前の作曲家のなかでは、最も聴き手の大いなる共感を得られる作曲家であると言える。

ラテン語で歌われる「女王の死を悼む哀歌」が圧巻!これだけの感情表現がなされる歌が17世紀イギリスで作曲されていたとは…どこまでも高まっていく哀悼の感情は、ボストリッジのお手のものというべきか。

 

最後のテノール、ホルン、ピアノで演奏されたThe Heart of the Matter。実に素晴らしい!まず、曲が何よりもすごくて歌詞もいいのだ。まさに歌詞の情景が目にうかび、その空気と香りが直に感じられるような素晴らしい音楽である。ホルンとテノールの呼応がとてもいい。改めてブリテンの驚くべき才能と、ブリテンを歌うために生まれてきたのではないかと思われるぐらい格調高く情感豊かなボストリッジの歌唱力に舌を巻いた。これ以上なにを望む必要があろうか。

 

アンコールは全く知らない作曲家、ドイツのイグナーツ・ラハナー(1807〜1895)の曲。テノール、ホルン、ピアノのためのオリジナル曲であった。

 

ボストリッジとアレグリーニはこの後、バーメルト指揮札幌交響楽団と共演してブリテンのセレナードを演奏する。こちらも非常に楽しみ!

ところでこの日のトッパンホール、歌詞を読むには適度な照明でよかった。もともとプログラムの歌詞は字が小さいので読みづらいのだが。

 

総合評価:★★★★★