ピエール=ロラン・エマール ピアノ・リサイタルをヤマハホールにて。

 

J.S.バッハ/

平均律クラヴィーア曲集 第1巻より

 第2番 ハ短調 BWV847

 第5番 ニ長調 BWV850

 第6番 ニ短調 BWV851

 第9番 ホ長調 BWV854

 第17番 変イ長調 BWV862

 第21番 変ロ長調 BWV866

フーガの技法 BWV1080より

 コントラプンクトゥスⅫ

 拡大及び反行形によるカノン

 

F.シューベルト/

12のワルツ Op.18,D145より 第1、2、4、5、6、8、9、10、11、12番

34の感傷的なワルツ Op.50,D779より 第23番

16のドイツ舞曲 Op.33,D783より 第2、3番

16のレントラー Op.67,D734より 第3、15番

17のレントラー Op.18,D145より 第2、4、5、6、7、8、9、12、16、17番

20のワルツ「最後のワルツ」 Op.127,D146より 第10、11、12、14、15、20番

12のドイツ舞曲 Op.171,D790より 第5、6、7、8、9番

36の独創的舞曲 Op.9,D365より 第2、3、5、21番

 

G.クルターグ/ピアノのための遊びより(バッハ、シューベルトの作品と交互に演奏)

 

フランスの名ピアニスト、ピエール=ロラン・エマールが銀座ヤマハホールに登場。曲目は多すぎて記載不能…しかも当初発表と前半・後半が完全に入れ替わった。

前日に聴いたばかりのアリス=紗良・オットのコンサートも、ショパンの24の前奏曲に7つの現代曲を挿入したものだったが、今回のエマールのコンサートは97歳の現代作曲家ジェルジ・クルターグ(1926〜)の「ピアノのための遊び」とバッハ、シューベルトを交互に演奏するという企画である。

 

1曲1曲が短いためにアンコールとして演奏されることが多いクルターグの「遊び」だが、他の曲と交互とはいえ、こうしてまとめて聴ける機会は貴重である(2012年トッパンホールでのリサイタルで、エマールが7曲を取り上げたことはあった)。今回取り上げられた「遊び」の曲はなんと22曲。

普段アンコールで聴くことが多いクルターグの「遊び」、短い中に繊細かつ含蓄あるエッセンスが凝縮された感があって聴き応えがあるのだが、こうしてまとめて聴くと…「遊び」という割には結構、地味で沈痛な表情の音楽だ。リゲティのように超絶的な技巧を要求されるきらびやかな部分もないのである。

ただ、前日のアリス=紗良・オットがショパンに現代曲をちりばめて弾いたときも同じことを思ったのだが、クルターグとバッハやシューベルトを交互に演奏しても、それほど違和感が感じられない。クルターグの音楽が、ヨーロッパの伝統音楽の延長線上にあるからなのか、シューベルトやバッハの音楽に、未来に向けた普遍性があるからなのか。

 

後半に演奏されたシューベルトの舞曲。シューベルトのピアノ曲といえばソナタ、即興曲、楽興の時…などが有名だが、なんとシューベルトは今回演奏されたような舞曲を生涯に391曲も書いたそうだ。いずれも、さすがシューベルト!と思わせる美しい旋律に満ちていて、センスの良さが感じられる佳品であり、この上品なテイストの舞曲が後のウィンナ・ワルツにつながっていくのだろうな、と思うのだが…こうやってまとめて聴いていると、残念ながら飽きてくるのも事実。ウィンナ・ワルツも2,3曲聴いたらもうお腹いっぱいで、私はウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートを最後までまともに聴いていられないのである。

なぜエマールがシューベルトの舞曲をこうやってまとめて取り上げたのか定かではないが、おそらく好きなのだろう。そもそも、エマールの過去のリサイタルで、シューベルトのソナタや即興曲を聴いたことは一度もないが、舞曲だけはアンコールなどで取り上げていた。

 

そんなわけで、今回エマールが弾いたなかで曲として一番感銘を受けたのはやはりバッハということになってしまう。特に、元のプログラムでリサイタルの掉尾を飾るはずだった前奏曲とフーガ第5番は訴求力・説得力ある演奏だった。

 

エマールのピアノはいつもながら抑制が効いた表現で、特にシューベルトの音楽の味付けは非常に繊細でバランスが良いものだった。ただ、音色の七変化は、ヤマハ主催のコンサートなのに申し訳ないが、スタインウェイを弾いた方がより感じられたのではなかろうか。もっとも、ヤマハホールの音響の問題もあるのかもしれないが。

 

エマールは譜めくりのアシスタントを付けずに全て紙の譜面を自分でめくりながら演奏していたが、よく曲順を間違えなかったものだ。いや、間違っていて、誰も気付いてないだけかもしれないのだが…

 

総合評価:★★★☆☆