アミハイ・グロス&三浦謙司 デュオ・リサイタルを東京文化会館小ホールにて。
ヴィオラ:アミハイ・グロス
ピアノ:三浦謙司
ショスタコーヴィチ:ヴィオラ・ソナタ ハ長調 Op.147
ブルッフ : コル・ニドライ Op.47
シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D821
1月のN響定期でバルトークの協奏曲を弾いたばかりのアミハイ・グロスが再来日。今回のリサイタル、東京では武蔵野市民文化会館と今回の東京文化会館と2公演があったが、武蔵野はアルペジョーネ・ソナタの代わりにブラームスとブリテンが演奏された!こちら東京文化会館のプログラムはやや地味。武蔵野のプログラムを聴きたかった。もっとも、ヴィオラという楽器自体少々地味だし、オリジナル曲も少ないのであるが…
ベルリン・フィル首席奏者アミハイ・グロスの音はこれ以上ないくらいに正確な音程、鋼のように強靱で芯の強い音ながらしなやかさと雄弁さを兼ね備えている。そして、彼が永久貸与されているというガスパロ・ダ・サロという銘器のせいもあろうが、音の鳴りっぷりの良さは格別!まさに、ヴィオラ界の帝王、あるいは神と言っていいだろう。
1曲目はシューベルトの傑作、アルペジョーネ・ソナタ。絶滅した(?)アルペジョーネという楽器に代わってこの曲を演奏することが多い楽器は言うまでもなくチェロ。ヴィオラで弾くと、チェロが弾くときの高域の苦しそうな感じがない代わり、チェロの音色の華やかさはかなり後退。かなり地味で、アミハイほどの名手による演奏とはいえ、ちょっと眠くなってしまった。
2曲目はブルッフの名作コル・ニドライ。こちらも、チェロとオーケストラのために書かれた曲だが、ヴィオラの憂いを帯びた音色で聴くのも悪くない。アルペジョーネ・ソナタよりもこちらのほうがヴィオラで演奏するのには向いていると思う。
後半はショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタ。ちゃんと予習して行けばよかった…
この作品、ショスタコーヴィチ最後の作品である。作曲家が亡くなった2ヶ月後の初演で、大指揮者ムラヴィンスキーが終楽章で慟哭していたとウィキペディアにある。
だが。最晩年のショスタコーヴィチの作品は相当難解な作品が多く、個人的にはかなりきついのである。どういうわけか引用が多いという特徴があるが、まあそれはいいとして、もう全く聴衆に理解してもらおうという姿勢がないぐらいに内省的で、単に自分のために書いた曲なのではないかと思われるほどだ。交響曲第15番あたりはまだ聴きやすいが、弦楽四重奏曲の終わりの方の曲はもう、超俗物で凡人の私には全く理解できないのである。陰鬱な当時のソ連社会の閉塞感、そして病気による世界観の圧倒的な変質。
まあ後期の弦楽四重奏曲に比べれば、今回アミハイが弾いたヴィオラ・ソナタはまだ理解できる方かもしれない。第1楽章は短編小説、。第2楽章はスケルツォ、第3楽章はベートーヴェン追悼のアダージョだと作曲者が語ったそうだが、第3楽章は月光の曲の引用である。第3楽章後半にあるヴィオラのソロはかなり切々と心に染みてくるけれど、それでも全体としてはなかなかとっつきにくい作品ではある。
かなり短い演奏会で、19時開演、20分の休憩があったのに20時35分ぐらいには音が終わっていた。アンコールはなし。この難解かつ深遠なショスタコーヴィチ作品のあとにアンコールは不要だろう。もっとも、その後にサイン会があったからかもしれない。
今回ピアノを弾いたのは、三浦謙司。私は存じ上げなかったのだが、2019年のロン・ティボー・クレスパン国際コンクール優勝者だそうだ。今回のプログラムではあまりその実力はわからなかったが、非常に安定して適度な個性を発揮しているピアノであったと思う。
総合評価:★★★☆☆