ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」<新制作>を、新国立劇場オペラパレスにて(17日)。
【指 揮】大野和士
【演 出】マリウシュ・トレリンスキ
【美 術】ボリス・クドルチカ
【衣 裳】ヴォイチェフ・ジエジッツ
【照 明】マルク・ハインツ
【映 像】バルテック・マシス
【ドラマトゥルク】マルチン・チェコ
【振 付】マチコ・プルサク
【ヘアメイクデザイン】ヴァルデマル・ポクロムスキ
【舞台監督】髙橋尚史
【ボリス・ゴドゥノフ】ギド・イェンティンス
【フョードル】小泉詠子
【クセニア】九嶋香奈枝
【乳母】金子美香
【ヴァシリー・シュイスキー公】アーノルド・ベズイエン
【アンドレイ・シチェルカーロフ】秋谷直之
【ピーメン】ゴデルジ・ジャネリーゼ
【グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー)】工藤和真
【ヴァルラーム】河野鉄平
【ミサイール】青地英幸
【女主人】清水華澄
【聖愚者の声】清水徹太郎
【ニキーティチ/役人】駒田敏章
【ミチューハ】大塚博章
【侍従】濱松孝行
※本プロダクションでは、聖愚者は歌唱のみの出演となります。
【合唱指揮】冨平恭平
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】TOKYO FM 少年合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団
共同制作:ポーランド国立歌劇場
新国立劇場開場25周年記念公演の新制作。
保守的過ぎる演出ばかりであった新国立劇場にも、ついにここまで尖った演出が登場するようになったか…読み替え演出自体は、新国立劇場で過去にもあったとは思うが、ここまで原作から離れた演出は初めてかもしれない。
新国立劇場としてはかなり斬新な演出であるが、ヨーロッパ(特にドイツ)では珍しくもないタイプの演出である。個人的には、そもそもボリス・ゴドゥノフにそれほど親しんできたわけでもなく、元のストーリーを熟知していない状況でこの訳のわからない読み替え演出は辛い。直前に元のストーリーを予習したのであるが、それでもきつかった。
ポーランド国立歌劇場芸術監督マリウシュ・トレリンスキによる演出、映画監督出身だけあって映像が多用されていて、舞台上で進行しているドラマや抽象的な動画がスクリーンに映し出されるが、それほど新しい手法ではない。この手法だと、ステージ上で歌う歌手たちは細やかな表情まで聴衆に見られるので、普段よりも余計に演技をしっかりしなければならないのではなかろうか。
ストーリーとしては元のストーリーをベースにしながらも、フョードルが障がい者であり、同時に聖愚者でもあるという設定がキモ。ステージ上のフョードルは黙役の役者が演じ、歌手は見えないところで歌う。
コスチュームは現代的で、表面的にはかなり洗練されたステージであるが、内容はかなりえぐい。ボリスは帝位に就くために先帝の子ドミートリーを殺害し、そのことで妄想を抱くようになり、息子が障害を持っていることもそのせいだと感じているという設定で、最後は偽ドミートリーによって残虐に処刑される、というストーリーだ。観ている多くの人が気付くはずだが、これは独裁者の狂気と、ロシアの残虐性という、現在進行中に戦争やプーチンの掲げるナショナリズムへの批判なのである。
そのような演出家の強いメッセージは感じ取ることはできたが、作品として納得し感動したかと言われると、全く感動できないのであった。かつて、故クラウディオ・アバドがウィーン国立歌劇場と来日してこのオペラを上演したときは非常に感銘を受けたことを思い出す。
歌手は当初出演予定であったロシア人4名が、入国できないということで7月に変更となっていた。本来であれば、タイトルはエフゲニー・ニキティンが歌うはずだったのだ。
歌手のなかでは、ピーメン役のゴデルジ・ジャネリーゼが非常によかった。深く重い声で、聖職者にふさわしい堂々たる歌唱であった。タイトルロールのイェンティンスは威厳があったが、その苦悩やつらさが、あまりこちらに伝わってこないのは演出のせいだろうか。シュイスキー公役ベズイエンは、この役の胡散臭さをよく表していた。
それにしても、やはりこのオペラは地味で、圧倒的に感銘を受けるアリアのようなものはない。
今回の上演、1869年の原典版と1872年の改訂版の折衷であり、新国立劇場版とでも言えるような版である。この曲、リムスキー・コルサコフが改訂した華やかなヴァージョンがあってそちらの聴き応えがあるが、最近は他者が手を加えていない、ムソルグスキー版の演奏が通常となっている。前述のアバドの演奏もそうだった。そのあと2003年に観た、ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場来日公演における上演は1869年原典版。1869年原典版は、極端に女性役が少なく上演できなかったものである。
今回も女性歌手の活躍は第1幕最後の旅籠の女主人による「私は雄鴨を捕まえた」ぐらい(この曲は改訂版で追加された)。
大野和士指揮東京都交響楽団、オーケストラの響きが非常に引き締まっていて格調高い。さすがに都響である。ただ、音楽的に高揚感を感じるような部分はなく、「僧坊の場」はピーメンの歌唱がよかったとはいえ、長すぎたこともあってやや退屈さを感じた。
割と平日でも入っていることが多い新国立劇場であるが、この日は1階など結構空席が目立った。あまりに地味なオペラゆえだろうか。
総合評価:★★☆☆☆