新国立劇場オペラパレスにて、ワーグナー「ワルキューレ」を観る(17日、20日)。

 

演出:ゲッツ・フリードリヒ

指揮:大野和士

美術・衣裳:ゴットフリート・ピルツ

照明:キンモ・ルスケラ

 

ジークムント:(第1幕)村上敏明(第2幕)秋谷直之

フンディング:長谷川 顯

ヴォータン:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー

ジークリンデ:小林厚子

ブリュンヒルデ:池田香織

フリッカ:藤村実穂子

ゲルヒルデ:佐藤路子

オルトリンデ:増田のり子

ヴァルトラウテ:増田弥生

シュヴェルトライテ:中島郁子

ヘルムヴィーゲ:平井香織

ジークルーネ:小泉詠子

グリムゲルデ:金子美香

ロスヴァイセ:田村由貴絵

管弦楽:東京交響楽団

 

本公演、当初主役級は外国人歌手がメインだったのであるが、外国人の入国制限によってほとんどの出演予定者が来日不能になってしまった。それに加えて、当初指揮する予定であった新国立劇場前芸術監督の飯守泰次郎氏が手術後ということで降板、指揮は現在の芸術監督である大野和士と、最終日(23日)のみ新国立劇場音楽チーフである城谷正博(私の中高の後輩!)に変更となった。

 

参考までに、変更前の配役は以下の通り。

ジークムント:ダニエル・キルヒ

フンディング:  アイン・アンガー

ヴォータン:  エギルス・シリンス

ジークリンデ:  エリザベート・ストリッド

ブリュンヒルデ: イレーネ・テオリン

結果として、外国人歌手はヴォータン役のミヒャエル・クプファー=ラデツキー(1月23日の関西フィルによるワーグナー特別演奏会に参加後、引き続き日本滞在中)のみとなり、あとはオール日本人キャストによる上演となった。

そのうえ、オーケストラピットにおける密を避けるということで、ワーグナーのオリジナルに代えてアルフォンス・アッバス(1854-1924)による縮小版が採用された。本来16型4管編成(ホルンは8)のこの曲を、小劇場のために2管編成に編曲した版だ。この版には、なんとワーグナーチューバがない!管楽器は2管編成(ホルンは4管)のうえに本来他のパートが演奏するところまで演奏しなければならないために出番が多く、そして楽器によっては持ち替えが発生してかなり大変だったようだ。弦セクションはワーグナーのオリジナルのままであるが、編成は小さくて12型(コントラバスは5)。アッバス版、もとの記譜ミスも多かったようで、関係者の苦労が推し量られる。

 

とまあ、これでもかという難題を乗り越えて無事に上演できたのは本当に素晴らしいことで、関係者の並々ならぬ努力には本当に感謝したい。

 

さて。当初予定とがらりと変わってしまった歌手陣であるが、日本人歌手に関しては、総合的に言って女声陣の方が圧倒的に素晴らしかったと思う。

 

イタリアで研鑽を積み、イタリアオペラを得意とする(第1幕の)ジークムント役村上敏明は線が細く、後半はもう声が出ていない箇所もあり(特に17日)、正直かなりきつかった。決めどころの「ヴェルゼ!ヴェルゼ!」も非力で全く決まらなかったし、「春と愛の歌」以降、声のきれいさはあったけれど劇的高揚感に欠け、それがオーケストラの演奏にも波及してしまって、エンディングの畳みかけるような興奮が得られなかったのは残念。歌詞を覚え切れていないのか、プロンプタ城谷氏の声が舞台に響いていた(特に17日)…とはいえ、この困難な状況のなかでリスクを背負って超難役ジークムント役を引き受けてくれたというのは、本当に頭が下がる思いである。

ジークリンデ役小林厚子、この人もイタリアで研鑽を積んだイタリアオペラ系の歌手であるが、声はしっかり出ていて存在感抜群、好感が持てた。どことなく違和感が残ったのは、ドイツ語の発音だろうか?

フンディング役の長谷川顯、この人ももう長いけれど、フンディング役としての強烈な押し出しとワルモノ感は今一つ。

というわけで、第1幕はジークムントにどうしても不満が残った(特に17日)のだが、第2幕になると歌手陣が素晴らしく、状況は一変した。

 

このオペラの実質的な主役であるヴォータン役ミヒャエル・クプファー=ラデツキーのドイツ語を聴いて、私ごときが言うのもなんだが、ドイツ語のオペラというのはこういうものだ!としみじみと実感した。第1幕の歌手たちのドイツ語は、やはりちょっと違う…クプファー=ラデツキーは声の押し出しと言い、背の高さといい実にヴォータンによく合っている。もし他の歌手がみんな欧米系のワーグナー歌いだったとしたら、その中ではちょっと線が細くて物足りなく感じたのかもしれないけれど…

そしてわが国が世界に誇るワーグナー歌手、藤村実穂子のフリッカ!彼女が登場すると、会場の空気が一変するのがわかる。本当にこの人が作り上げる凜とした空気はかなり独特で、その空気がオーケストラの音まで重厚に変えてしまったのには驚いた(17日)。プチ自慢ながら、私はバイロイトでも彼女が歌うフリッカを聴いている(指揮はティーレマン)。バイロイトの舞台だと、藤村さんは他の歌手に比べてすごく小さく見えたのをよく覚えている。

https://ameblo.jp/takemitsu189/entry-10626593550.html

さらに今回代役になってよかったとつくづく思うのが、池田香織のブリュンヒルデである。正直、テオリンが歌うよりも結果としてよかったのではないだろうか?わが国のワーグナーファンには既にその実力を認められているが、新国立劇場で主役級を張るのは今回が初めてであろう。声量もあり、芯がしっかりしていて品格がある低音が実に心地よく、日本人歌手のなかでは(ドイツに暮らし、ドイツでキャリアを積んだ藤村実穂子は別格として)ドイツ語の発音もしっかりしている。私ごときが言うのもなんであるが。この方、田園調布雙葉高校から慶応義塾大学法学部を経て(そして東響コーラス出身で)、二期会オペラスタジオを修了してプロの声楽家になったという異例の経歴の持ち主だ。

長い第2幕の最後に登場した、(第2幕)ジークムント役の秋谷直之、この人もイタリアで勉強した人だ。声量が大きいのはいいのだが、ちょっと不必要に大きすぎて繊細さに欠ける。

第3幕、ワルキューレを歌った日本人歌手たちはとてもいい仕事をしていた。どうしても、演技が学芸会的になってしまうのが難点であるが…第3幕、第3場以降は本当に素晴らしく感動的で、涙が出そうになった。何よりもワーグナーの音楽が驚異的に素晴らしいのであるが、父の本来の気持ちを汲んで行動したにもかかわらず厳しく罰せられる娘と、心の底では娘を深く愛しながら神としての威厳と保たざるを得ないヴォータンの心理的葛藤を、池田香織とクプファー=ラデツキーが見事に演じていたと思う。

 

大野和士指揮東響、17日は私が聴いた席が1階の19列目ぐらいで遠く、編曲のせいもあって低音が貧弱で、第1幕はかなり粗くて一瞬止まったのでは?というところもあった。20日は聴いた席が9列目ということもあり、低音はそれなりに届いていた。第1幕ノートゥンクを引き抜く場面の音楽の輝きは感じられず(これは当然歌手のせいもある)、エンディングは前述の通り高揚感に欠ける。しかし第2幕以降は低音も安定。第3幕のワルキューレの騎行は、編曲のせいもあってちょっと薄く感じられた。しかし第3場の音楽はほとんど不満を感じないくらいに見事なものであった。総じて、17日はオケが金管を中心に全般的に粗く、20日は安定していたと思う。アッバス版、当然ながら違和感を感じさせる部分も多いのであるが、基本的にワーグナーが書いた全ての音は再現されているので、慣れるとそれほど違和感が感じられなくなる。

 

演出は故ゲッツ・フリードリヒ(1930〜2000)。かつてのモダンな演出も、今観ると古くさいのは否めない。この演出、2016年にも新国立劇場で観ているが、第3幕の炎のシーン以外は地味であまり印象がなく覚えていなかった。今回も同じ印象で、第1幕、第2幕は薄暗く特段気になったところもないが、音楽を邪魔しないという点ではよい。ちなみに、第1幕でジークムントがノートゥンクをトネリコから引き抜くシーンでジークリンデが「あーっ!」と絶叫するのは、ワーグナーの台本にはなく後世付け加えられた演出である。

フリードリヒ演出、第3幕のみがかなり印象的で、ここは古い時代から見た近未来という絵。ブリュンヒルデを眠らせてローゲに火を付けさせるシーンだけは一生記憶に残る演出であろうか。

 

幕間の休憩(40分、35分)を入れて計5時間半という長丁場。体調維持に必要なものを除いてホワイエでも飲食禁止。私にとっては、飲酒も体調維持に必要なのだが…

この劇場、幕の前にかならず注意事項が日本語と英語で流れるのだが、幕の始めごとに流すのはやり過ぎだ。あまりにしつこくてアナウンスの内容を暗記してしまいそうである。そして(何の役にも立っていない)接触確認アプリがどうしたとかいうくだりは、何度聞いても意味がよくわからない。

20日の公演では、第3幕が始まってすぐのワルキューレの騎行の最中に、私の席の後ろの方でアラームがかすかに鳴ったような気がしたのだが、その後すぐ劇場が大きく揺れた。上演には影響なくてよかった。10年前も、この劇場が余震で大きく揺れたことを昨日のように覚えている。

 

総合評価:★★★☆☆