グスターボ・ドゥダメル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を、台北の国家音楽ホールにて。

 

バーンスタイン:交響曲第1番「エレミア」(Ms:タマラ・マムフォード)

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

 

前々日のマーラーから1日置いての公演。この日も、やはりほぼ満席で異様なまでの熱気に包まれている。

今これを書いている時点でベルリン・フィルは翌日の高雄公演を終えていて、その模様はデジタル・コンサートホールで生中継されていた。映像で終演後の聴衆の拍手喝采を見ても、会場の外でライヴビューイングを観ていた人たちの雰囲気を見ても、日本以上の熱量である…

それにしても、人生初訪問する中華民国、街はきれいだし、インフラ整備もしっかりしているし、食べ物も美味いし、日本語もよく通じるし、ぜひまたコンサートを絡めて訪れたい素晴らしいところである。

 

前半はバーンスタイン最初期の名作、「エレミア」。ウエストサイドストーリーなどのミュージカルは別として、バーンスタインの創作は題材も作風も極めてユダヤ的である。しかし、ベルリン・フィルのような機能性が極めて高いインターナショナルなオーケストラによる演奏だとあまりユダヤ臭は感じられず、純粋な交響曲の系譜に位置付けられる音楽に聞こえてくる。ただ、客演指揮者ドゥダメルとの演奏だからなのだろうか、上手いけれどこの曲が本来持つ緊張感があまり伝わって来ず、やや表現が緩い。

メゾ・ソプラノ独唱はカナダ出身のタマラ・マムフォード。メトロポリタン歌劇場に出演する歌手だ。身長175センチはありそうで、モデルのようなスタイルのエキゾチックな美人である。声は深くしっとりと重めで、この曲には相応しいと言えるだろう。

 

後半はショスタコーヴィチ5番。こちらはエンディングが必ず盛り上がる超名曲ということもあるが、オーケストラの底力が発揮された熱演であった。特に、ベルリン・フィルの屋台骨とも言えるコントラバスのブンブンと唸るような音は今更ながら驚きで、第1楽章冒頭、第2楽章冒頭の力感と暗く重い音色は他のオーケストラでは聴くことができないものであろう。

 

ドゥダメルの解釈は、今やもう古くなってはしまったのだが、ソロモン・ヴォルコフ著「ショスタコーヴィチの証言」以後の解釈、すなわち「強制された歓喜」がテーマなのであろう。コーダのテンポは1947年再版のスコアのテンポを採用しているようだ。ムラヴィンスキーの録音よりも遅い。

プラウダ批判により窮地に立たされたショスタコーヴィチは、社会主義リアリズムを体現したかのようなこの5番の交響曲を書いて、体制に迎合したポーズを取ったと言われている。ドゥダメル自身、独裁政権となった故国ベネズエラで政権批判をし、その後一切帰国していない。彼が育てたシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの団員の3分の1が、マドゥロ政権に抗議して国外に亡命しているような状況なのだ。ソ連という強大な独裁国家で、作品をもって密かに政権に抗議したショスタコーヴィチに、何か通じるものを感じているのだろうか?

第4楽章、小太鼓に導かれて楽章主題が回帰するところから後のドゥダメルのテンポは非常に遅い(これより遅いのはロストロポーヴィチくらいか?)。そして、284小節目の一つの音、譜面上のAsの音をFに変更していたが、これは初演者ムラヴィンスキーの変更を採り入れたものであろう。ムラヴィンスキーに倣ってこの音を変更している演奏は、今回のドゥダメルの演奏以外だと、私は西本智美の録音でしか聴いたことがない。

このようにドゥダメルの演奏が意図する方向性はわかるのであるが、実際に聞こえる音は割と楽天的と言おうか、深刻な音楽に聞こえないのがなんとも言えないところ。

 

パユのフルートとドールのホルンはことに印象的で、第4楽章、静かになってからすぐのホルンソロの音が極めて小さいことに驚く。

 

弦は前半後半とも16型。コントラバスは右手に配置されているが、第2ヴァイオリンが右手で対向配置、ヴィオラは左手奥という配置であった。

 

総合評価:★★★★☆