NHK交響楽団第1819回定期演奏会Cプログラム1日目をNHKホールにて。
~パーヴォ・ヤルヴィ首席指揮者就任記念~
トゥール/アディトゥス(2000╱2002)
ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77(Vn:五嶋みどり)
バルトーク/管弦楽のための協奏曲

パーヴォ・ヤルヴィの首席指揮者就任記念の3プログラムのうち、最後のプログラム。ロシア・東欧系音楽で固められたプログラムである。N響の音が明らかに変貌しつつあることを再認識させる演奏であった。

トゥール(1959~)はパーヴォと同じ出身地である、エストニアの作曲家。もともとプログレッシヴ・ロックからスタートした人だそうだ。「アディトゥス」は祝典序曲とも言うべき作風の音楽であり、テューブラーベルの下降音階で始まる冒頭が印象的で、極めて明快でわかりやすい作品である。ちなみにこの曲、パーヴォが2002年にバーミンガム市響を振ったCDがあり(ECM1830)、2005年6月のN響定期でも演奏しているので、気に入っているのであろう。確かにこれは、現代音楽のなかでも再度聴きたいものに属する。

2曲目は五嶋みどりをソリストに迎えたショスタコーヴィチ1番。みどり(海外での彼女の芸名は単に「MIDORI」である)の最近の演奏、まるで取り憑かれたかのような神がかり的なスタイルになってきているが、この日もそれは変わらず。3階R1の私の座席からだとややヴァイオリンが引っ込んで聞こえたのだが、それでもオケに消されるまでではなかった。ショスタコーヴィチの1番のコンチェルトは、作曲当時の社会体制を反映しているような暗く沈んだ表情と、その反動であろう、激しい自己主張と情熱が共存する音楽であるが、まさにこうした音楽がみどりの音楽性に合っていて、その表現の幅は非常に深いものがある。
終楽章、オーケストラの機能を最大限にまで発揮させた熱狂的な表現は実にすさまじく、これぞまさにパーヴォ!と思わせるものであった。

後半はバルトークのオケコン。終演後の客席の反応がどうも今ひとつ(前半のショスタコーヴィチの後の喝采がすごすぎたからそう感じるのか?)に感じられたのだが、これは驚異的な演奏である!今までバルトークのオケコンは録音でも実演でもさんざん聴いているが、この日のパーヴォの演奏ほど新しい発見をさせてくれたものはない。オケコンはバルトークがアメリカで鳴かず飛ばずの最晩年に大衆迎合的に書いた音楽という認識が強かったが、決してそうではなくて、様々な要素が盛り込まれた音楽であると痛感。
パーヴォはこの曲を、かつて音楽監督を務めたシンシナティ交響楽団と2005年に録音しているが(TELARC CD80618)、その録音ではここまで細部の機微はわからなかったと思う。
冒頭から、オーケストラの音が丁寧にコントロールされていることがわかる。弦のフレーズのひとつひとつに大事な意味を持たせ、明快に際立たせていることが特に第2楽章で顕著。ピツィカートのちょっとしたフレーズにすら抑揚をつけて表現しているのだ。普段目立たないフレーズも浮き彫りになっていて、慣れ親しんだこの曲にまだまだ知らない部分があるのだと痛感する。
第2楽章はトロンボーンのコラールのフレージングも独特。
その上、リズムの処理が極めてユニークで、バルトーク特有の節回し、アクセントが強調されている。第4楽章、ショスタコーヴィチ「レニングラード」に似た主題がトロンボーンのグリッサンドで中断されるあたりのおどけた表情は絶品で、テンポ設定も実に巧みだ。フィナーレも実に鮮やかで、弦のフレーズの後拍を強調するところも面白かったし、テンポの伸縮が自在。
オケはとてもいい。毎度ながら、トランペットの菊本氏は素晴らしい音である。近年、一人の指揮者のもとでここまで統制された音を奏でるN響を聴いたことはほとんどなかったのではなかろうか。明らかにこのオケの音は変貌しつつある。
比較的渋いプログラムながら、チケットは2日とも完売。パーヴォの人気は大変なものがある。12月の第九も楽しみだ。