ジョン・アクセルロッド指揮NHK交響楽団A定期1日目(NHKホール)。

バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」(Pf:ステュワート・グッドイヤー)
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

アメリカ人指揮者、ジョン・アクセルロッドは初めて聴く指揮者である。バーンスタインと同様、ハーヴァード大学卒とのこと。N響では2010年に、ローレンス・フォスターの代役で定期を振ったそうだ。

前半のバーンスタイン。この曲を聴くと、バーンスタインという人が非常に様々なことを吸収したインテリであり、それをアウトプットした作品だということを痛感する。冒頭のクラリネットの二重奏はまさにヨーロッパ音楽の伝統に乗った作風であり、その後に出てくるユダヤ的な旋律、そしてアメリカ人であるがゆえのジャズの作風、こういったものがモザイクのようにちりばめられ、エンディングはまるでマーラーのようだ。いい意味で、とても優等生的な、オール優な音楽なのである。
こういう曲を有機的に、わかりやすく演奏するのはとても難しいと思う。下手をするとただのごった煮になってしまうからだ。この日のアクセルロッドの演奏、とても立派な演奏で、ピアノを弾いたグッドイヤー(タイヤの名前のようだ)のソロも完璧だったが、バーンスタインの自作自演盤からするとやや生真面目な印象を受けて、やっぱりこの曲ちょっと弱いのかな、とすら思ってしまった。

後半のショスタコーヴィチ。「森の歌」同様、作曲者が政治的な苦境に立たされていた時期に、大衆迎合的に書いた作品とされているが、大衆迎合的でもこれだけの見事な曲を書いてしまうところは、まさに天才のなせる業である。「森の歌」だって、もっと見直されてよい名曲だ。最近ではこの5番、実はラヴ・ソングの要素もあるという研究結果がある(第1楽章の第2主題がカルメンに似ているが、これは当時作曲者が思いを寄せていた女性の姓だという説)。第2楽章エンディングのオーボエや、第4楽章エンディングのティンパニなどを聴いていると、こちらもバーンスタイン作品同様、マーラーの影響を受けていると思われる点で共通しているのは興味深い。

この曲は音楽そのものが大変に雄弁ゆえ、演奏でそう失敗することはないから、初の定期出演(最初の出演は代役)の曲としては妥当な選曲だろうと思っていた(佐渡裕がBPO定期に初めて出たときもこの曲だったな…)。しかし、実際に聴いてみると、私が個人的に最もふさわしいと思っている、あるべきテンポ設定と表現で、大変に共感できる演奏だった。第3楽章の静謐で悲しみに満ちた表現、第4楽章エンディングの引きずるような重い表現などは、この演奏も偽書「ショスタコーヴィチの証言」の影響を受けているのかな、と思ってしまう。「ショスタコーヴィチの証言」は偽書ではあるがその内容は実に興味深いし、その後のショスタコーヴィチ演奏に大きなインパクトを与えたことだけは確かである。

前半、後半とも16型。打楽器セクションが見事であった。