クリスティアン・テツラフのヴァイオリン、児玉桃のピアノをトッパンホールにて。
シマノフスキ:《神話》 Op.30
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 Op.27-1
パガニーニ:24の奇想曲 Op.1より 16番、6番、15番、1番
クルターク:《サイン、ゲーム、メッセージ》より
J.Sバッハへのオマージュ
タマージュ・ブルムの思い出に
Vivo
カレンツァの舞曲
哀しみ
Zank-Chromatisch(不協的半音階)
エネスク:ヴァイオリン・ソナタ第2番 ヘ短調 Op.6
(アンコール)ドヴォルザーク:ソナチネ~ アレグロ、ラルゲット

モーストリー・クラシック5月号のヴァイオリニストのランキングで、現役部門第6位、総合第29位に位置するクリスティアン・テツラフ。私もかつてから彼のシャープで研ぎすまされた演奏は好きで、来日するたびほとんど毎回足を運んでいる。ストラドやグァルネリを使う多くの名ヴァイオリニストと異なり、彼は1999年製のシュテファン・ペーター・グライナーによるヴァイオリンを使っているので、音がシャープでモダンなのだ。

今日のプログラムはシマノフスキ、クルターク、エネスクといった東欧系に、イザイとパガニーニが挟まっているという変わったものだ。今日の曲目、ほとんど私が知らないものばかり。強いて言えば、パガニーニはかつて、CDが出始めたときに、シェロモ・ミンツの美麗な音でありながら完璧なテクニックの演奏で聴き込んだ記憶はある。
そのパガニーニ、テツラフはまるで音色の美しさというものに関心がないかのように猛然と弾き進む。正直、音程も甘いところがあるし、技術的にも、CDのミンツなどに比べると別の曲のようにさえ聞こえるが、なんというか味があってヘタウマの領域かもしれない。
他のプログラムでは、イザイの説得力ある力強い演奏に心惹かれるものがあった。シマノフスキはロマンティックでありながら、第3楽章は現代音楽のような鋭さと怜悧さを持っていて、テツラフの方向性にぴったり。逆に、クルタークはバルトークやコダーイの延長にある音楽であることを実感させられた。こういう音楽におけるテツラフの音を聴いていると、音楽の本質に迫って行きさえすれば音の美しさなど犠牲にしてもよい、と思っているのでは?と感じる。どこかちょっとクレーメルっぽい。エネスクのヴァイオリン・ソナタ2番は予想外のロマンティックな秀作で、あの「ルーマニア狂詩曲」の民族性とはほど遠い洗練された音楽であるが、実は書かれたのはエネスクがまだ若いときなのである。
しかし今日最大の発見、実は児玉桃のピアノで、彼女のピアノは今まで聴いた中では今日が一番よかったかも…?実に安定していて、しっとりと気品高く鳴っていたのが印象深かった。シマノフスキのピアノパートはまるでドビュッシーのようだったし、エネスクのそれも、フランス音楽のような洒脱さとセンスの良さが発揮されていた。