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松井玲奈まとめ

48グループに関するニュースやまとめのまとめ、を挙げていきます。
松井玲奈が中心ですが、松井玲奈だけではありません。

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※木崎の「崎」は「大」のところが「立」ですが、記事では朝日新聞の基準に従い「崎」としています。

 

 「何も始めなければ何も始まらない」。この言葉を知ったのは中学1年のとき。父の部屋の掛け軸に書いてありました。子どもながらに衝撃的でしたね。当たり前のようですが、人はこれをやればいいことにつながる、とわかっていても最初の一歩は簡単には踏み出せないものです。私は小学2年生からダンスを習っていましたが、上達するには毎日、腕立てをしたり、腹筋をしたり、自分で何かをはじめなければ、結果は出ない、と気がつき、もっと努力するようになりました。小さな努力を始め、積み重ねることで大きなものが築かれていく、ということをいつも感じています。仲間との友情や信頼も積み重ねるものだと思います。

 私は子どもの頃からアニメやコミックが好きで、影響を受けてきました。特に「ワンピース」は、私にとっての教科書。友情や平和の尊さを教えてくれました。おかげで人生が成り立ってきた、といっていいくらいです。どのストーリーを読んでも泣いたし、何度読み返しても感動します。

 一番好きなのは「アラバスタ編」。主人公のルフィたちは、一緒に冒険をしてきた王女ビビの故郷、アラバスタ王国を救うために立ち上がります。戦争が終わり、ビビは一緒にルフィと航海に出たいけど、王国の再建のために残る決意をします。感動したのは別れの場面。船上のルフィたちは離れていても仲間だ、とビビにサインを送ったんです。仲間は(意味のある)ケンカをしたり、助け合ったり、同じ目標をもったり、いろいろなことを経験しながら絆を深めていくんですね。人生で友情は大事だと思っています。

 私がSKE48に入ったのは2009年11月。同期は「正規メンバーに負けないくらいのパフォーマンスをしよう」と気持ちを一つにしてがんばってきた仲間です。

 研究生は研究生でチームを作っていかなくてはなりません。「このくらいでいいや」と、中途半端な心構えのメンバーがいてもダメだし、自分だけが目立とうとするメンバーがいても、まとまりません。

 話し合いの場が険悪なムードになって、私は耐えられず、その場から走り去って泣いたこともありました。でも、ぶつかり合いながらも、少しずつわかり合えました。「誰が」ではなく「みんな」でやろうと、なっていったんです。

 ダンスの先生は厳しくて、レッスンでは、イントロの部分だけをそろえるのに、朝から晩までかかったこともあるけれど、みんなで乗り越えることができました。けんかをしたことも、つらかったことも、今は笑って話せるいい思い出です。あのときがあったから、今の自分があると心からそう言えます。

 今年はSKE48では9人が卒業。一緒に切磋琢磨(せっさたくま)してきた私の同期からも秦佐和子、小木曽汐莉(おぎそしおり=以下オギちゃん)らが卒業しました。中でもオギちゃんは私にとって特別の存在。三つ年上で、お姉さん的存在でした。研究生から正規メンバーに昇格して、チームは別々になりましたが、お互いのチームのことやパフォーマンスのことを毎日のように話しました。移動のバスではいつも隣の席。イヤホンを2人で分けて、音楽を聴いていました。2人のお気に入りは西野カナさんの「ベストフレンド」。親友への思いを表した歌で、「私たちみたいだね」と話したことがあります。

 私が家族とケンカしたことがありました。私がテレビに出演しはじめた頃、タイミングがつかめず、あまり目立つことができませんでした。父や母に、「どうして、もっと話さないの」と言われたんです。私がテレビに出ることを楽しみにしてくれていることはわかりますが、私は前に前に出ていくタイプじゃなく、そういう自分自身にいらだちもあって……。プライドもあるし、悔しいし。「そんなに簡単じゃないんだよ」って。

 オギちゃんに相談すると、「お父さんやお母さんは心配してくれているんじゃない」と冷静に言ってくれました。私も心の底では、父と母が心配して言ってくれていることはわかっていました。そのことをオギちゃんに言って欲しかったのかもしれません。だから、その後は私の感情もおさまりました。もし、オギちゃんがいなければ、私と父母の関係も変わってしまっていたかもしれないな、と思うことがあります。

 オギちゃんがSKE48を卒業して、別の道を進みたいと考えていることは、いつも一緒にいるので、うすうす感じていました。もし、そのときが来たら、受け止めようと思っていました。卒業を決めたよ、と告げられたのは一緒にご飯を食べたときでした。「卒業することになったよ」って。すぐに私に伝えなかったのは、私の気持ちが動揺しないように、仕事が一段落するタイミングをみはからってくれていたからみたいです。

 そのときは実感がわきませんでした。まだ卒業までは時間がありましたし、想像ができませんでした。だけど、月日はすぐに流れて、今年春の卒業コンサートを迎えました。その日は、人生でいちばん泣きました。

 そして、帰りのバスで「ベストフレンド」を2人で寄り添いながら聴きました。コンサートであれだけ泣いたのに、また涙がこぼれて……。その次の日、バスに乗るとき、いつも隣の席にいたオギちゃんがもういないことを実感して、胸にぽっかり穴があいたような気持ちになりました。

 SKE48の仕事場に戻ると、卒業したメンバーたちに代わって、新しい6期生たちの姿が目に入りました。私は先輩たちの背中を見てきたけど、彼女たちは、誰の背中を見て育つんだろう……。ふと、そう思った時、それは私がしなくちゃいけないんだ、と思ったんです。自分がこれからのSKE48をつくっていくために、がんばらなくちゃ、いつまでも寂しがっていたら、卒業したオギちゃんや先輩たちに恥ずかしい――と気持ちが吹っ切れました。仲間の卒業はかなしいけど、私は少し大人になったような気がします。

 卒業したオギちゃんと、私の家族を交えてご飯を食べたことがあります。私はすごくはしゃいでいたみたいで、家族からは「こんなに笑っているゆりあを初めて見たよ」と驚かれました。自分ではいつもどおりのつもりだったけど、違ったみたいです。やっぱり心が許される仲間だからかな。いつまで経っても。

■番記者から

 AKB48グループのおバカキャラと言えば、AKB48の川栄李奈が有名だが、SKE48では木崎ゆりあの名前が挙げられる。日本国内の移動にパスポートが必要だと思っていたり、国会議事堂を見て「東京城」と勘違いしたり、逸話には事欠かない。だが、今回の取材ではそのおバカ説を否定した。伝説に残るパスポート事件については「私はだまされたんです」と言う。数年前、メーク担当の女性から「ゆりあちゃん、国内でもパスポートが必要な場所があることを知ってる」と問いかけられて、「え、そうなんですか」と耳を傾けた。「たとえば静岡県は金魚みたいな形をしているでしょ。その金魚は、元々は日本以外(外国)にあって、日本にたどりついたの。だから、今も静岡県に行くには、パスポートが必要なのよ」。それを聞いて「まじか~。そうなんだ」と信じ込んだ。結局、県外に行く際、パスポートを持参しようとして母から止められ、真実を知らされたという。

 東京城発言については、国会議事堂を知らなかったのは事実だが、「これは東京城かな」と思い、たまたま口にしたら、一緒にいたメンバーたちに広められたという。「まだ子どもで純粋だったんです。人が信じられなくなりました」と苦笑しながらつぶやく。

 家庭での教育は学校の勉強よりも特技を伸ばすことに重きが置かれた。小学2年生の頃から、ダンスに打ち込んだ。父母は「勉強しなさい」とは言わず、ダンスを応援してくれたという。「母は私が誰にも嫌われて欲しくないと思いながら育てたようです」。人と争うことが嫌いで礼儀正しい。取材の現場では、知らない人とすれ違っても、「おつかれさまです」としっかりあいさつ。取材でも質問への受け答えがしっかりしていて、おバカキャラとは感じさせなかった。

 特技はダンスだが、女優や声優、バラエティー番組と幅広い分野に興味をもっている。演技力には定評があり、その実力は総合プロデューサーの秋元康さんも認めているほど。ファンからも「よかったよ」と声をかけられるそうだが、本人はこう言う。「放送されたビデオを見て、なんでこんな演技をしているんだろう、と落ち込んでいます。ウソでしょーって。お芝居はすごく好きだけど、自分の演技には納得したことがなくて。本当に上手なのかな? 将来は西田敏行さんのようなアドリブの上手な俳優さんになりたいです」。今、いちばん幸せな気分になれるのは、台本を読んで、想像を膨らませているときだという。(大西元博)

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