復讐の味は何の味? | リベラルのファンタジーゾーン

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リベラル思想にまみれた私の寝言。

昨今、「差別発言」という言葉で有名人の公開しばきみたいなのが起きているわね。
もちろん左翼でリベラルぬくぬく育ちのホモ(=私だよ)の立場からすれば、「ふふ・・・いい気味・・・」なんだけどね。
私が少しだけ気になっているのは、「同性愛者を動物呼ばわりするなんて、あんたは誤っている」という理由で、スポンサー契約を切られちゃったボクサーって、これからどういう動きの始まりになるんだろう…ってこと。


アメリカでの動きをうっすら感じているのだけれど、あの国は、例えば同性愛を巡る問題においては、賛成派と反対派のそれぞれにお金が付いて回り、政治圧力として作用していることに特徴があるのね。でも、どちらも「アメリカ」という土台を共有しながら戦ってるので、まあ、最終的には敵同士ではないわけよ。欧州にしてもそう。
頭のおかしい一部の人達が、弱いものいじめ的に攻撃してるだけ(それがシャレにならないんだけど)。

でも、そういう動きが他の国に住む、つまり土台を共有しない社会・・・特にまあ、欧米からしたら遅れてる地域、日本やらアジアね。その辺の私たちにどのように影響が重なってくるのかしら・・・。
「アンチ同性愛者の人たちなんて信じらんないわッ!」という、他方を完全なる悪役として仕立てる思考法(左翼あるあるの一種)は、日本の人権運動において、本当の目的達成に資するところが無いという所感は指摘され始めて既に久しい(どれくらいなんだろ。同性愛者運動においては21世紀入った辺りからは、伏見憲明さんとか、私でも気が付くところに出てきたの)。

更に知識は進み、そういう風に「相手を完全なる悪として攻撃する」「自分の正義を疑わない」勢力=リベラル・左翼である、というような形で定義付けるような流れも出てきたわね。21世紀も10年過ぎたら、さすがにもう、社会主義がキラッキラした理想に見えてた時代なんか知らん世代が大人になっちゃったわ。
余談だけど、私には、今や「あいつらは破壊衝動の塊だから排除すべきだ」と攻撃している人たちまで「相手を完全なる悪として攻撃する」「自分の正義を疑わない」人たちと同じような物言いを身に着けてきてるように見えるわ。彼らのは、オバマもISもナチスも何もかも、全ての破壊者が同じに見えるらしい。現実適応力の高い見解の一つではあるけど・・・やっぱり、「深淵を見つめるとき、深淵もまたお前を見つめている」というのは、正義志向の人あるあるなんだなあと思うの。失敗から学ぶところは多いわ。


冒頭の方に戻ると・・・まあね、人権の議論が出てくると、バカな子は「あいつら、特別扱い要求しやがって」「我々が押しのけられる」という被害者づらを始めるわ。それの方が簡単だからね。自分より劣っていて欲しい人間が、自分と同じ土俵に並ぼうとすると怒り出すのよ。まあ、しょうがないわね。みんな余裕ないし、怖いんでしょ。


昨年春、イギリス映画「パレード」というのを観たの。
この映画ってのは、80年代のサッチャー政権下で、炭鉱がどんどこ閉鎖されてた頃、炭鉱の労働組合を救おうキャンペーンを始めたLGBT団体が、ある地方の炭鉱労働組合と交流していくというすごい話!
「お互い、いじめられてると言う意味では同じだ!」という当時としては進んだ慧眼。
もちろんね「オカマなんかに支援されたくねえ!」という男ども(それと面白いのが、男の言い分に完全に乗るオバハン、っていう姿ね。万歳叫びながら戦場に若者送り出した戦前日本の銃後の母みたいよね)の反発がありながらも、結局「でもねえ、助けてくれようってのを突っぱねる余裕なんかありゃしないんだよ!」というオバハンパワーで進んでいくのね。

この映画の何が素晴らしいってね、差別や抑圧に勝つのは、それらを逆手にとって利用するくらいのユーモアと知性なのだと教えてくれたことよ。

これよこれ!
これが、いわゆるサヨクリベラル運動に欠けてるし、保守も含めてあらゆる社会運動に欠けている視点なんだね。

真面目な顔して拳を突き上げることだって大事だけど、今や、それはあくまで心の中でやることであって、通りでやることではないっていうこと。もうそういう時代じゃないってこと。それではみんな怖がって近づいてこないわ。
東京プライドパレードは、「人権」から「祭り」という方向に、スローガンを「ハッピープライド」というゆるいものにすることで、却って日本の日常に広く浸透しつつあるのではないか・・・というのが私の印象。


そういうことを考えていくと、公的スペースでの「ホモきめぇ動物レベルwwww」くらいの発言について、「あんたはぁあ・・・(白目・だみ声)差別主義者だぁああああ」って唾飛ばしながら言うのは、日本ではあまり賢明とは言えないような気がするの。
「もう少し頭使いなさい」という気持ちを込めて「オ・バ・カ・サ・ン♥」と抱擁してキッスをあげるのが理想の姿なの。それは無論、マクロレベルの公人への対応ね。
ネット上で公開処刑したら、普段から何かムカついてる保守派にとって殉教者を与えるようなものだわ。
日本では、よく分かってなくて言ってるだけの人たちが多い。彼らとて、差別したいわけじゃない。ただ単に、お笑いのセンスが決定的に低いのよ。気の利いたこと言ってやろうと思って言ったら上手く行かなかったテヘヘレベルのジジィが多いわ。若い女が言う場合はちょっと違うね。甘やかされて育ったエリート男(特にジジィ)が安逸に寝言を放言するのと違って、上に上がってきた女達は、「世界対アタシ」大戦だからね。常に。本気で思い込んでる可能性あるから怖いわよ。あの女達、それ言ってる時本気(マジ)だから。ギャグセンスに問題があることは間違いないけど。


ミクロレベルでは、様々な私怨が渦巻いてしまうことがやっぱり違うのよ!
心身に本当の被害の出るような行為から、仕組みや決まりで道を邪魔されている程度のものまで色々だから、そこは、傷をできるだけかわし、涙を拭いて、傷を癒し、怒りを鎮めて、一つ一つやり過ごしたり、対処したりしていくしかないのね。それは、いつまでも残る不公平を握りしめたまま歩く・・・長い長い旅なの。
死んだら何も感じない、何も無くなってしまうのなら、旅の終わりは全ての終わりであり、本当の安らぎね。もう何もかも捨てて行けるって素晴らしいことじゃない。

心が「許せない許せない許せない許せない許せない」でいっぱいでも、復讐なんてやった瞬間から不味くなって二度と食いたくないはずよ。

まあね、そう考えたら・・・人生の中で一人の人間がやれることって少ないのよね。そして死んじゃったら、或いは同じことができなくなったら、生前または元気な時にやってたことなんて、何の意味も価値も無くなる。
何も残していくことはできないと思った方がいい。後の人たちがそれを活用するかしないか、それだけね。その中で復讐なんて、どれほどのものなのかしら。


とまぁ、ここまで思い込まないといけないくらい、私って醜い怨念にまみれた人間よ。おぞましいわねえ。