2010年もとうとう、最後の大晦日になりました。この1年、当ブログにご訪問頂き、誠にありがとうございました。
 
 さて、タイトルの流電ですが、佐久間レールパークで1、2位の人気を誇った?流電こと52系です。今はご存知の通り、来年3月にオープンするJR東海の博物館に移設され、日の目を見る日を待ちわびていることでしょう。
 
 来年は新幹線も鹿児島から青森まで開通する2011年。SFのようなリニアモーターカーも実現に向けて動きだしています。その全ての礎になったのがの流電こと52系かもしれません。最後の活躍の地がこの飯田線であったのも一昔前ですね。
 
 流電は1936、7年に当時の鉄道省が開発した車体ですが、世界的に流行していたスピード感を出すため流線型を採用しました。今から思えば時速100キロ程度では到底、要らないデザインですが、当時の方々のかける想いは今の新幹線やリニアモーターカーと同じかもしれませんね。
 
 画像は全て閉園する前の佐久間レールパークで撮影した物で、特別公開で車輌内部も見ることができました。今やレトロでも当時は超ハイテク・ハイカラ、沢山の新機構も採用されました。
新幹線、リニアモーターカーから見ればおじいちゃん以上の存在かもしれませんが、立派に歴史の証人でルーツです。
 
 本年の公開はこれにて終了です。大掃除の合間、または、○○歌合戦等で子供さんらにTVを取られてしまった合間でも見て頂けたら・・・来年もよろしくお願いいたします。良いお年を。
 
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 この印象的な外観、また、爽やかな塗り分け・・・117系の新快速にも通じるものもありますね。
当時はパノラマカーもロマンスカーも当然ありませんし、そもそも太平洋戦争前ですから、夢ふくらむデザインだったでしょうね。
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 流線型をサイドから。飛び出た前照灯も個性的な演出と急行文字が速さを象徴していますね。
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 その内側、当然、アルミサッシではなく木枠の窓枠。窓の開け閉めのツマミも懐かしい?昇降窓。冬場はかなり冷え込む運転席だったかも。急行文字部分は固定ですね。
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 運転席、この角度ですと比較的原型に近いかな?最終運転状態での保存と思われますが、シンプルなアナログ表示メーター類は今では返って新鮮に写るのかもしれませんね。マスコン関係もきわめてシンプル。デビュー当時はもっとシンプルで空間も広かったかもしれませんね。
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 助手席側。流線型にするため前面窓を4分割(当時のガラス加工技術は平衡性維持には大きなガラス製作は難しく、やむなく小さなガラス板にて対応もあったそうです)にし、狭くになるは、角度を取るにも手間がかかる設計および製作工数だったでしょう。今にして思えば外観以上に内部はこの程度くらいでしょうか?でも当時の子供らには夢の特等席だったでしょうね。
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 先頭部分からややひいてみると飛び出したテールライトも凝った形状?または、設置場所が無く、やむなし?がわかります。旧国と同じプレスされたドア横には雨樋もありますね。
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 客室内。クロスシートに編み紐状の荷物棚と高い天井に扇風機。運転席がないと旧客と同じ?つり革はどうだったのでしょうか?本来であれば木製であった事でしょうね。
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 シートと窓枠周り。木製がレトロを感じますね。今では健康オタクから総攻撃を受けそうな灰皿も窓下にあります。少々小傷有りの肘置き?は再度、修繕されお披露目でしょうか?
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 当時の人には外観とこの塗り分けはかなりのインパクトがあった事でしょうね。台車周りまで覆われたスカートも当時は画期的だったことでしょう。抵抗器やモーターの冷却は大丈夫だったでしょうか?現代からですと空気抵抗削減よりかは防音用に見られる?かも。
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