のりたまさん、只今無職。






毎日残業で疲れて帰ってくる旦那さんや

そろそろ復職の時期にきているママさんたちの話を聞くと、

あー、働いていた頃がなつかしい、、なんて思います。






今はありがたく育児に専念させてもらってますが、


私もいずれはまた仕事をすると決めているし、


旦那さんもそれを応援してくれています。








でもその「いずれ」がいつになるのか。。






会社は辞めたので、いついつまでに、という期限がなく


自分でスケジュールを立てないとなかなか前に進まないな、、、


という事にもうっすら気づきだした今日この頃。


(オーラ観察してる場合じゃないYO!ww)








育児期間中って、忙しいのは忙しいんですが、


頭で何かを考える時間はたーっぷりあるんですよね。




無職である今だからこそ、本当に自分がやりたい事はなんなのだろう、とか


私にとって、家族にとっての豊かさとはなんなのだろう、とかいう事を最近よく考えています。




いろんな本を読んだり情報を得て、それらを統合し、自分で咀嚼して。。。


最近あるひとつの考え方にたどり着きました。








やりたいこと≒やれること≒やるべきこと。








やりたいことというのは、


自分がそれをやれるからやる、ということとは別問題だし、


自分がやるべきだからやる、

人から必要とされているからやる、



ということともまた別問題だということ。








結論からいうと






純粋に、ただ純粋に、





自分がやりたいことだけをやる。






ただそれだけでいいらしい。






この結論に行き着くまで、私はいつもこう思ってました。

(仕事だけじゃなく、色々な事柄に関してね)




私はできれば自分の得意分野を生かしたいし、(それはあまり努力しないでもできること)


性格的にこういうのが向いてるんじゃない?って人から言われたり、


いわゆる適性診断のような結果に沿った方が自然なんだろうとも思ったし、


そしてそれが誰かの役に立つ(ニーズがある、感謝されるような)ことならやりがいもある。



それらが自分のやりたい事とマッチすれば、完璧じゃん!って。






だけど、



得意なこと、向いてること、求められていることが必ずしも


自分のやりたいこととは限らないのですよね。






もともとそれらが一致している場合もあるかもしれないけど、


そうでないケースも多々ありますよね。





ブログひとつを例にとってみても、




読者さんはこういうこと知りたいんじゃないかな~とか考えて書く人いると思う。


けど求められている記事が必ずしも自分が書きたい内容とは限らない。


けど自分が書きたい事だけ書く自己満足ブログは読んでもらえないかも・・・



だから書きたくないけど頑張って書く→ブログ自体が苦痛・つまんなくなってやめちゃう。






そうならないためには、


自分が書きたいことと、人が読みたい・知りたいこととのバランスを探りながら書き続けること。


(以前ね、ヨガの生徒さんを募集したかった時に私が書いていたブログはそんな感じでした。)






つまり自分がやりたい事だけを追求するっていうのはエゴだし、うまくいかない。



かといって世間から求められていることだけに注力するのもこれまた自己犠牲と言う名のエゴ。






要するに極端になりすぎず、そこいらのバランスをうまくとることによって、


人生に調和がうまれるんでないか??




ああ、これこそ中庸。ヨガだねい。。。(うっとり)




という私の基本的な価値観があったのですが、




最近その価値観がぶっこわれましたw












結論に戻ります。










純粋に、ただ純粋に、








自分がやりたいことだけをやる。












ただそれだけでいいらしいです。














どうやらそんなシンプルなことだったらしい。












・・・長くなってきたので今日はこの辺でw






多分、つづく。






昨日アップした父親についての記事。。。



そんな美談じゃないんです。



本当に店がヒマだったんだと思います。笑








最近のりのやまさん(娘)ですが、


ハイハイとつかまり立ちを始めたので、もう目が離せなくなりました。


危なっかしくてしょうがありません。354354



しかも敏感な時期なのか、一人ではお昼寝できない感じになってきて・・・


なんだか一日中べったりです。





ただ見守るだけも飽きるんですよね・・・




そこで、どうせ目が離せないならとことん観察してやろうと思いたち



なんならオーラでも見えないかなーっと(←どんだけヒマだよwww)



ここ一週間ほどずーーーーーーーーっと娘を観察していたらですね。









、、、、、見えましたw







娘のオーラがwwwww










オーラは誰にでも出てるし、誰にでも見えるらしいです。


人間は単なる肉のかたまりじゃないですからね。



でもって、赤ちゃんの方が大人より魂が純粋でエネルギーが強いので

見えやすいんだそうです。


※実際、旦那さんのオーラもこっそり内緒で見てたんですが(笑)

うすらぼんやりとしかわかりませんでした。



オーラはいつも決まった色ではなく、瞬間瞬間で変わります。



ちなみに今日観た(感じた)娘のオーラは、


青白く輝いた感じの輪郭で、さらにそのふちどりがたまに


黄色~オレンジ~グリーンと色を変え発色してました。




面白いのが、奇声を発したり興奮している?様子の時には


オーラのフレアというか’揺らぎ’も変わるみたいです。




・・・引き続き観察して、オーラ知覚精度高めていきたいと思いますw



集中しないでも自然に見えるようになったらイイナ。












のりたま宇宙。

「ママはどこへ向かおうとしているのでつか?」








売れ筋でないマニアックな本ばかり仕入れて


閑古鳥の鳴くような(笑)古書店を営んでいた父。



それでも自分の好きな本に囲まれて満足そうでした。




浜崎あゆみの曲で、



きみのこと 思い出す日なんてないのは


きみのこと 忘れた時がないから




なんていうフレーズがあったかと思いますが、


まあ私にとっての父とはまさにそういう感じなんですね。


他界してから10年以上たった今も


いつでもすぐ近くに温もりを感じることができます。





この前、母と会話していた時にふと


苦笑いしちゃうような父との記憶が甦ってきたのですが。笑



「そーいえばあんた昔、詐欺にダマされそうになったことあるよね~。(爆笑)」





て、、、えーそうですよ、そーなんですよ。




多分、小学校の高学年くらいの時なんですけど、


家に電話がかかってきて。



いわゆる学習教材(超高額)の勧誘だったんですけどね、


なんか話を聞いてしまって、そのうちに


この教材で勉強すれば秀才になれる!って思い込んでしまったのですよw


あー恥ずかしいw




なんだろう、しかも多分あれは今思えばデート商法にも似たようなやり口だったのかな。。


営業の人は男の人だったのですけど、「僕の為にご両親を説得してください。」みたいな方向性で、


私はこの人の役に立たなければいけないといったような気にもさせられたわけですよ。


あー恥ずかしい恥ずかしいw




人を疑うことをしらない単純バカ純粋無垢な私はですね、


さっそく両親にそのことを話しました。


うちはお金持ちじゃなかったですけど、


勉強したいと願う子供の要求に親が反対するはずがないと。


(いやー悪い商売ですねー)





だけどうちの両親もムダに長く生きてません。


瞬時に


「この子ダマされてる。」と気づいたそうですw



なるべく私を傷つけないような言い回しで諦めさせようとしてましたが


私もまさか自分がダマされてるとは思ってないわけで


決意は固く一歩も譲りません。




そしてここからがうちの父の面白いところで。



もうこうなったらこの「ダマされるという体験」に


とことんつきあってやろうじゃないかと決めたらしいのです。




私が、自分自身で気がつくまでw





どういう経緯か細かいことはもう忘れましたが、、、



その教材をもうほとんど購入するかしないかの段階で、


販売元の事務所がある新宿へ父と一緒に行きました。


説明会のような、合同販売会のような感じ。



私はそこで初めて、違和感を感じました。



営業マンが全員ホストのような容姿だったことや(笑)


来ていた子供のほとんどが女子だったこと、


会場のなんと例えたらいいかわかんないような高揚感?みたいな。




で、私は結局、「この教材は欲しくない」と自分で結論を出したわけです。



会場を出る時に、父はなんだかそこでいくらかお金を払っていました。


多分法律的にはなんら効力のない違約金めいたものだったんじゃないかな。


もちろん父も払う筋のないお金とわかっていながら、この「ストーリー」に味つけしたんでしょう。


それか騙すという役割を演じてくれた人への謝礼のつもりだったのか。笑




でね、そのあと2人でうなぎを食べました。



まだ父は、「ほらな、お前はダマされていたんだよ。」とは言いません。



でも笑ってこう言いました。




「これから先、うなぎを食べるたびにお前はこの日のことを思い出すかな。」






私はそこではじめてなんだか恥ずかしいような、情けないような、悔しいような


申し訳ないような色んな感情がぐちゃまぜになって



ほとんど泣きそうだったか、実際泣いてたかは覚えてないけど




「お父さん、ごめんね。」



って言ったんです。





そしたら



「お前のおかげで旨いうなぎが食えたから、いい。」





ってやさしく笑う父に、、、懐の深さを感じずにはいられませんでした。





まあ、今振り返れば、のハナシですけどね。





あの時もしも、最初から頭ごなしに「バカ、ダマされてるんだよ!」って言われたとして、


私は納得してなかっただろうな~って。



で、この体験をしていなければ、またどこかで同じようにダマされただろうな~って思うんです。




うちの父はこういうやり方で、私の経験を奪わないでくれたんですよね。



まさに「保護者」という感じで、近すぎず遠すぎず


成長を見守ってくれていた父でした。





・・・それにしても単なる記憶も強い感情がセットになると強烈ですね。


あの日の会場の室温、新宿で歩いた地下街の様子、


あの時父と食べたうなぎの味までがつい昨日のことのようです(苦笑)








わたしたちはあなたにどんな記憶を残してあげられるかな。


のりたま宇宙。






私も親として、過保護になりすぎず過干渉になりすぎず






娘の自立心を育んであげたいなと思いました。