「パパ、これ、なぁに?」

 手荷物の確認をする良輔の目の前で、一人息子がヒラヒラと一枚の紙切れを振った。

 吉澤良輔。今年30才になる。

 高校のクラス会のハガキが届いたのは、今から1ヶ月前。

「お前……」

 しまっておいた筈の物を持つ息子に、溜息をつく。

「ワザワザ出すなよ」

「これ、なぁに?」

 少し色褪せたその紙を不思議そうに見つめる息子。

「“宝物”だよ」

「“たからもの”?」

 キラキラした言葉とは裏腹の古びた紙に、息子が首を傾げる。

「お前がもう少し大きくなったら、教えてやる」

 そう言って息子の頭を撫でて、手を差し出す。

「パパ……」

 返してくれるのかと思いきや、息子がしがみついてきた。

「なんだ、お前?」

 折角の休日に父親である良輔が一人で出掛けてしまうのが寂しいのだ。

 それに気付くが、直にそう問いかける事はその寂しさに拍車をかけてしまう。

 良輔はそっと息子の頭を撫でた。

「ちゃんとママとお留守番できたら、“宝物”のお話してやるから」

「ホント!?」

 子供心とは単純なもので、しょげて抱きついてきたクセに、たった一言で瞳がキラキラと輝き出す。

「ほんと」

「ボクね、ボク、お留守番できるよ! お手伝いもできるよ!」

「スゴイな!」

「パパ、約束ね!」

「約束!」

 指きりげんまん。

 妻と息子に見送られて、良輔はクラス会へと向かうのだった。



 車で行けば早いのだが、いかんせん、今日はアルコールが入る事必至である。それ故、良輔は電車で会場であるホテルへと向かった。

 クラス会は立食パーティー式で、そのホテルの一番小さなホールを貸し切って行われるようだった。

「あいつら……来るかな?」

 ホテルへ向かう電車の中、良輔は、パスケースの中から小さな紙切れを取り出した。



  ――――――――――――――――

 14年前の高2の夏。

「おぉ!! スゲェ!!」

 良輔の家に遊びに来た仲間が一斉に声を上げた。

 部屋の中には新品のエレキギター。

「買ったの? いつ?」

 仲間内で一番無邪気な益子貴弘がはしゃぎだす。

「バイト代が入ったから、全部つぎ込んだ。買ったのは昨日」

「触ってもいい?」

 待ちきれずに手を伸ばし始めたのは越谷祐人。

「いいけど、音は出すなよ」

「えーっ!」

 文句を言いながらも、ギターを肩にかけて、その重みを実感する。

「俺、明後日なんだよね、バイト代入るの」

 祐人が構えているギターを見ながら呟いたのは、良輔と一番仲の良い山上将士。

「なに? マーも買うの?」

 将士の言葉に長谷川健一郎が割って入る。

「良輔と“欲しいな”って、ずっと言ってたんだよ。な!」

 将士の言葉に良輔が頷いた。

「6本?」

 健一郎の問いに、

「6本」

 将士が答える。

「じゃ、俺、4本買おうかな……」

「「「えーっ!!!」」」

 健一郎の言葉に斉藤暁幸と貴弘と祐人が声を揃えて驚いた。

「6本、4本って……。多過ぎない?」

 貴弘が指を折りながら、将士と健一郎を見る。

 脱力で崩れ落ちる、暁幸と祐人。

「え? 俺、なんか間違ってる?」

「タカ! タカ!」

「なに、祐人?」

「それ、弦の本数だから」

「え?」

「ギター本体じゃなくて、ギターの弦の本数」

「あ? あぁ! あぁ……」

 自分の間違いに気付いた貴弘に、

「話の流れで気付けよ」

 と笑い転げる暁幸。

「俺の“流れ”は、こっちだったの!」

 笑う暁幸と祐人の間で、貴弘が膨れる。

「やるんだ?」

 ギターを外し、祐人が良輔と将士に問いかけた。

 以前からそれとはなく出ていた“バンド”の話。

 特別に部活動に精を出している訳ではない彼らにとって、何か熱くなれるものが欲しかったのだ。

「そのつもり」

 頷く良輔。

 口で言っているだけでは、なかなか前には進めない。誰かが行動を起こさなれけば何も変わらないのである。

「どうすんのかなって思ってたんだよ」

 祐人からギターを受け取って、今度は健一郎がストラップに身体をくぐらせた。

 それとなく弾き始める健一郎。

「カッコい~い!」

 無邪気に手を叩く貴弘に、“デタラメだよ”と肩を竦めてギターを良輔に返しながら、

「やっぱ、俺、ベースがいいな」

 前に出てメロディを奏でるより、そっちの方が向いていると頷く。

「実はさ、俺も密かに……」

 暁幸がニッと笑った。

 もしかしたら、“バンドやろうぜ”と誰かが言い出すかもしれない。その時にはすぐに対応出来るようにと準備だけはしていたと言うのだ。

「自分で言い出さないってとこが、アッキーらしいよな」

 あくまでも、便乗する。

 将士の言葉にみんなが笑った。

「で、何やるの?」

 リードが2本、ベースが1本。

 ギターは十分な気がして、貴弘が首を傾げる。

「こう見えて、昔、ピアノ習ってたんだよ。だから、キーボード!」

 言いながら、弾く真似をしてみせる。

「似合う! 似合う!」

 はしゃぐ貴弘の横で、少しずつ、祐人の視線が落ちていく。

「俺も何かやりたいっ!!」

 “なっ!”と貴弘が視線の落ちつつある祐人の肩を叩いた。

 微笑みながら頷く祐人。

「あと、欲しいのは……」

「……ドラム?……」

 ギターやキーボードと違い、ドラムは流石に場所をとる。家に用意……と言うのは、なかなかに難しい。

 部屋に沈黙が漂った。

「……さ……」

 “流石にムリか……”

 そう良輔が言おうとした瞬間。

「ねー。こーゆーのってさ、ドラム?」

 貴弘が、手で少し小さめの平たい円柱が並んでいる形をサカサカとゼスチャーしてみせた。

「それ、こんな感じ?」

 良輔が机の上に置いてあった楽器のパンフレットを取り出して、通常のドラムセットを指さす。

「うん。それの小さい感じで……」

 貴弘の言葉を受けて、良輔がページをめくる。

「もしかして……。……これ?」

「そう! そんなやつ!!」

 良輔の指の先には、練習用の小さなドラムセット。

「何、タカ! 持ってんの!?」

 将士も身を乗り出して貴弘を見る。

「ウチ、祖父ちゃんが太鼓叩いててさ……」

 貴弘の父方の祖父は、地元で和太鼓の演じ手なのだと言う。その血を継いでいるのか、偶然か、幼い頃、祖父にねだって買ってもらった記憶があると言うのだ。

「小さい時、楽器屋の店頭にあった太鼓のセットから動かなくなって、祖父ちゃんが買ってくれたんだ。祖父ちゃん的には、“わしの血じゃ!”って大喜びだったらしい」

「家にあんの?」

 話の割には、遊びに行った時に見た事がない。

「んにゃ! 祖父ちゃんとこ。ずっと忘れてたから、きっと、蔵の中に……」

「く、蔵!?」

「お前んち、なに様!?」

「ど田舎の普通の家……。だと思うけど?」

 貴弘の家柄で盛り上がる5人の中、ただ一人、祐人だけが何も言わずに微笑んでいた。

 ギター・キーボード・ドラム。どれも言うほど安価ではない。

 確かにバイトはしている。だが……。

「祐人?」

 祐人とは幼稚園の頃からずっと一緒だった貴弘が、黙ったままの祐人に声をかけた。

「どした?」

 “ノリ悪いぞ”とばかりにその肩を引き寄せる。

「……みんな、スゴイな、って……」

 そう呟いて、エヘヘと笑う祐人。

 その笑みの意味に気付いた貴弘が良輔を見る。

 祐人の父は、祐人が生まれたばかりの頃に事故で他界している。

 大恋愛だった祐人の両親。母は再婚せずに、女手一つで祐人を育ててきたのだ。高校に入って、やっとアルバイトが出来る年齢になった時、祐人はその賃金の全てを家計にと母に渡していた。

「やるなら、6人だからな」

 良輔が祐人の肩を叩く。

「でも……俺は……」

 みんなのように、楽器など買う余裕はないのだ。

「あのさ……」

 貴弘とは反対側から祐人の肩を抱えて、良輔が言う。

「ギターが3人、キーボードがいて、ドラムがいて……。十分だと思わね?」

 これ以上の楽器はいらない。でも、それだと……。

「な、祐人。楽器だけ揃ったって、バンドにはならねーんだぜ」

 良輔がニッと笑い、貴弘が足りない物に気付く。

「ボーカル!!」

 頷く良輔。

「ボーカル? 俺が?」

「いいよ! いい! 祐人、歌上手いじゃん!!」

 まるで自分の事のように貴弘がはしゃぐ。

「でも、歌なら、良輔だって……」

「俺も歌うよ。祐人がメインで、俺とマーはバック」

「……でも……」

「“やるなら、6人”!!」

 貴弘が煮え切らない祐人の頭を抱え込む。

「だよな」

「6人揃ってないなら、やる意味がない」

 口々に言われ、

「……うん……」

 祐人が頷いた。



 そして、数日後。

 貴弘の呼びかけで6人は貴弘宅へと集合した。

「結構、ちゃんとしてるじゃん」

 健一郎が目を丸くするその先には、練習用のドラムセット。先日、“田舎の蔵にある”と貴弘が言っていたものだ。

「あの日、帰ってからすぐに祖父ちゃんに電話して送ってもらった」

 ヘヘン! と誇らしげに胸を張る。

「叩けんの?」 

 小馬鹿にしたように暁幸がドラムスティックを手に取り、貴弘の頭を小突いた。それにムッとした貴弘が無言でスティックを奪い取ると、そのままセットに腰掛け、吸い込んだ息を合図にするかのように、腕を振り下ろした。

「……凄ぇ……」

 5人が息を飲むその前で、貴弘の腕が小気味良くリズムを刻む。元々、6人の中で一番リズム感が良いのだ。それに加えて、和太鼓演奏者の祖父からの血だろうか、とても始めたばかりだとは思えない程の演奏だった。

「お前、天才じゃねーの?」

 笑いながら言う暁幸に、

「まーな!」

 とふんぞり返る貴弘。

「……と言いつつ、実は、昨日一日練習してたりして」

 肩を竦めて、ペロリと舌を出す。

 荷物が到着したのは一昨日。開けた荷物の中に、初心者用のレクチャー本とビデオテープが入っていたと言うのだ。

「祖父ちゃんってば、自分でも始めてたらしくてさ。俺がやるって言ったら、全部送ってくれたんだ」

 一昨日それにザッと目を通して、昨日は一日中叩きっぱなしだったらしい。

「形になってた?」

 不安そうに聞く貴弘に、

「十分過ぎ!」

「マジで“天才”かと思ったわ」

 5人が口々に褒め称える。

 その言語に、

「良かったぁ」

 貴弘がホッと胸を撫でおろした。

「でさ。俺とマーとで色々動いてたんたけど……」

 良輔が、持っていたカバンから紙の束を取り出した。

「何、それ?」

 祐人が覗き込む。

「バンドスコア。とりあえず、みんなが知っている曲で、演りやすそうで、出来るだけ簡単そうなのを探したんだけど」

「練習もさ、市の青少年会館にスタジオがあるから、そこならいいかなって」

「準備万端。整ってるじゃん!」

 健一郎が呆れながら笑った。

「目標とかもあったりするの?」

 恐る恐る尋ねる祐人に、

「文化祭へのバンド参加!!」

 良輔が親指を立てた。



 青少年会館のスタジオ設備は2部屋。

 それに比べて素人バンドの多いことといったら……。お陰で、週に一度のキープがやっとだった。それでも、バイトの合間を縫っての練習は楽しかった。でもって、楽しいことの上達は早く、それがまた楽しくて、夏休みはあっという間に過ぎていった。

 そんな、夏休みの最終日。

 バンドは突如、解散してしまった。



 ホテルに向かう電車の中、良輔はクラス会への案内状を握りしめた。



 あの日。正確には、その前の日、良輔に事件が起きた。

「ただいまぁ……」

 夕方、アルバイトから戻った良輔。いる筈の母の声が聞こえず、首を傾げながらリビングへと向かった。そして、食事の気配のないリビングにまたもや首を傾げる。

「母さん? いないの?」

 人の気配はある。良輔はリビングを抜け、2階への階段へと進んだ。

 トントントンと軽快に階段を上がる。上がってすぐ右が良輔の部屋。奥が兄の部屋。短い廊下を挟んで、向かい側の少し広い部屋が父の部屋である。

 階段を上りきり、良輔は父の部屋のドアが開いている事に気がついた。

 覗くとそこには座り込んでいる母の姿。

「母さん、どうしたの?」

 顔面蒼白の母。指さす先には……。

「と、父さん!?」

 変わり果てた父の姿があった。

  ――――――――――――――――

 原因は会社の倒産。

 あまりの急な出来事に、家族の誰もが対応出来なかった。

 警察が来て辺りが騒然となる。この騒動に応じたのは、8つ離れた兄だった。心神喪失の母を良輔と共に実家に送り、一人で父の会社と警察やマスコミ相手に奮闘した。状況が状況だけに葬儀をだす事もなく、良輔はそのまま母の実家から戻る事はなかった。



 クラス会の通知が届いた時、正直、驚いた。

 急な転居で、行き先を誰にも告げずに家を出たのだ。しかも、その後、結婚して、更に違うところに住んでいる。一体誰がつきとめたのやら……。

「あいつら……来るかな……」

 パスケースから、今朝、息子が見付け出した紙切れを取り出す。

 小さな紙片に下手くそな字で書かれた『ファーストライブ』の文字。



「これ、良輔の分!」

 貴弘が小さな紙片を取り出し、ニコニコと屈託のない笑顔でみんなに配る。

「何?」

「作ってみた。文化祭でライブやる時の試作品」

「きったねー字」

 暁幸がクスクスと笑い、

「味があると言え!!」

 貴弘が拗ねる。

「ここの空白は何?」

 祐人が文字の前にある妙な空間を指さした。

「そこ、バンド名」

 覗き込みながら言う貴弘に、改めて、バンド名がない事に気付く。

「良輔とマーで考えてよ」

「「俺?」」

 良輔と将士が顔を見合わせる。

「だって、創立者じゃん」

 頷く一同。

「カッコいいんだけど、硬過ぎず軟派過ぎず?」

 将士が良輔を見る。

「……だろーな……」

 夏休みの宿題がひとつ増えた。



 とんでもない宿題は、そのまま持ち越されている。夏休みが終わる前に、自分自身がいなくなってしまったから……。

 やりきれない想いが溢れて、溜息が漏れた。

 【クラス会】の文字に心踊らせて来てしまった。が、それで良かったのだろうか?

 車内に駅への到着告知が流れ、ピクンと顔を上げる。降りるべき駅だ。ひとまず降りて、そのまま目の前のベンチに座った。

 ここまで来て、急に不安にかられている自分に気付く。

 そもそも、クラス会の連絡が急に来たのはどうしてなんだろう?

『初めて……よね?』

 クラス会の通知を見た、妻の第一声。あんな事があって、逃げるように転校した。勿論、引越し先は誰も知らない筈なのだ。

 幹事が調べたのだろうかと、ハガキを見てみる。

「幹事……」

 幹事の明記はなく、ただ、“一同”とだけ記してあった。

 まさかとは思うが……。

「悪戯?」

 ハガキをジッと見る。

 妙に豪華過ぎるホテル。しかも、ワンホール貸切だ。それに、高校のあった場所よりも若干遠い気がする。通学範囲を考えると、ここでは少し不便なのではないか?

 良輔は携帯を取り出した。

 妻に『帰る』と連絡しようと思ったのだ。

 どう考えても、おかしい。これは、きっと、ただの悪戯なのだ。

『“謝ってくる”んじゃなかったの?』

 妻はきっとそう言うだろう。でも、悪戯のクラス会へ行ったところで、誰もいはしない。

 良輔は、アドレスから自宅を選択した。

「もしもし」

『パパ!?』

 妻の声が驚いたように響く。

 それにかぶって、

《りょーすけ!》

 電話を当てていない方の耳に誰かの声が飛び込んで、良輔は慌てて顔を上げた。

「いや……。駅に着いたから……」

 携帯の向こうで妻が笑っている。

『頑張ってね』

 色々な事があった。それを全て謝っていらっしゃい、と妻の言葉が背中を押している。

「あ、あのさ、もし……」

『お友達がいてもいなくても、楽しんで来て』

 妻の声に、

《りょーすけ!!》

 再び声がかぶる。

「……うん。ありがとう」

 悪戯ならそれでもいい。少し、あの頃を思い出せた。それだけでも感謝しよう。

 良輔は、駅を出た。



 会場のホテルは駅前。

 最近出来たばかりらしく、周りの建物とは色が違っている。正面フロントの大きなドアの前に並んでいる催事ボードに目をやると、【○○高校クラス会】の文字が飛び込んできた。

「……あんの? マジで?……」

 驚きつつも、開いたドアの中へと足を踏み入れる。

 落ち着いたブラウンゴールドの絨毯が敷かれたフロアを抜け、ハガキにある会場へと向かった。

 エレベーターに乗り、壁にあるプレートを確かめ、会場である小ホールを探す。

 手前にあるのは中ホール。どうやら奥の方らしい。落ち着いた色のカーペットを奥へと進んでいく。

「……ここ……か?……」

 ハガキに記載されているホール名とホール入り口のプレートを見比べる。

「ここ……だよ、な……」

 ヤケに静かだ。

 駅で戸惑っていた分、予定の時間より少し遅れての到着なのだが、とても人がいるような感じではない。

 恐る恐る、そっと扉を開けて中を見ると、ほの暗い照明の中にテーブルが見えた。外の照明が明るかっただけに目をパチパチさせながら、一歩入り、首を傾げる。

「誰もいない……?」

 とりあえず、確かめようと更に一歩踏み込んだその瞬間、

“バタン!”

 扉が閉まり、ホールの照明が煌々と光を解き放った。

「うわっ!」

 驚きと眩しさに、良輔が腕で顔を覆う。

「良輔っ?」

 不意に問われ、

「ぉ、おう!」

 声を返した。その途端、

「良輔だっ!」

「ほんとに来た!」

「だから、言ったじゃん!」

「元気だったか?」

 懐かしい声が良輔を囲んだ。

「……え?……」

 目が慣れ、顔を上げる良輔の前には、

「良輔」

 見覚えのある穏やかな笑み。

「……マー……?」

 年齢を積みはしたものの、どこかにあの頃の面影が残っている。

「……健一郎? アッキー? 祐人? タカ?」

 良輔の声に、呼ばれた者が無言で頷いていく。

「驚いた?」

 将士が微笑む。

「“良輔が来たら、驚かせようぜ”って計画したのに、駅で見かけた途端、タカってば大声で呼ぶんだもん」

 祐人に言われて、

「だって、一目で“良輔だ!”って分かったんだもんよ!」

 貴弘が拗ねる。

「しかも、アッキーってば信じてくんないし!」

 拗ね方はあの頃とちっとも変わっていない。

 可笑しくて、良輔がクスリと笑った。

「あ! 良輔、俺の事、笑った!!」

「お前、変わんねーな」

 クスクス笑う良輔に、

「お前も、変わんねーよ」

 健一郎がその肩を叩いて微笑んだ。

「大変だったんだぜ、あの後」

 暁幸が将士を見て頷いた。



 まだ携帯のなかった頃だ。突然いなくなった良輔を探す術など、当時高校生だった5人にある筈がなく、瞬く間に始まった二学期を戸惑いの中で迎えた。

 そして、そんな所へ追い打ちをかけるかの如く、

「転勤!? 海外!?!?」

 外資系の企業に所属していた将士の父が、海外への転勤を命じられた。期間は未定。当然、将士も同行する事となった。

 リーダー格が二人とも不在になってしまい、バンドの話はそのまま立ち消えてしまった。



 が、数年後、将士が帰国。即座に4人に連絡が入った。



「みんな、どこかで諦め切れない何かがあったんだよ」

 将士が微笑む。

 バラバラになっても、楽器だけは続けていたのだ。

「俺なんか、祖父ちゃんの跡継いじゃったし……」

 そう言って、貴弘が肩を竦めた。

 住居はこちらだが、イベントがある毎に田舎に戻って和太鼓を叩いていると言う。

「マーが、絶対に探し出してみせる! って言ったから」

 それを信じて、いつか6人揃った時に恥をかかなくて済むようにと練習していたのだと、健一郎。

「……クラス会、は?」

 6人にしては広いホールに良輔が首を傾げた。

「ないよ」

 しれっと言い放つ将士。

「え!?」

 驚く良輔に将士が続ける。

「このメンバーでって言ったら、来ないかもしれないって思ったんだ」

 何も告げずに……告げず事すら出来ずに音信不通になってしまった良輔。

 それ故、このメンバーだけだと気後れしてしまうかもしれないと思ったから、出向きやすいようにと“クラス会”を装う事にしたのだと言う。

「……俺……」

「誰も怒ってないし、恨んでもいないよ」

 将士の横で、

「てか、会えて嬉しい」

 貴弘と祐人が笑った。

「変な話、俺らはあの時から止まったままなんだよ」

 健一郎が良輔の肩を叩き、それを待っていたかのように、ホール奥の雛壇にライトが当たった。

「とりあえず……やる?」

 雛壇がまるでステージのように、楽器を従えて輝いている。

 歳月を重ね、各々が自分で楽器を所持出来るようになった。

 将士のギター。健一郎のベース。暁幸のキーボード。貴弘のドラム。

「良輔のは、今日はこれで」

 将士が、用意しておいたギターを差し出す。

「え?」

「お前だって、諦めてたわけじゃないっしょ?」

 結婚して、子供がいて、仕事も順調で……。

 ギターを将士の手から受け取る良輔。

「趣味はギターだ」

 ニヤリと笑うその顔に、将士がニッと笑い返す。

「ワン・ツー……」

 貴弘がスティックでカウントし、6人の時間が、動き始めた。



 帰りの電車の中、パスケースの中のチケットを広げる良輔の脳裏に仲間の声が蘇る。

 諦められなかった夢。

 捨てられなかったチケット。

「帰ったら、話してやらなきゃ」

 どこから話そうか……。

 窓の向こうは、飛ぶように流れる街あかり。

 少し色褪せたチケットを良輔はそっとパスケースへと戻した。



『良輔、そのチケット……』

      『俺も持ってる!!』

       『俺も!』

    『なんか捨てられなくて』

  『空白埋めなきゃ、じゃん』

     『じゃ、次までの宿題な』 

        『マジかよ……』

      『次、いつにする?』

 『そうだな……』










「ぃ…ブシッ!!」

「お、おま……」

 たった今、得点された俺の前でヒロが笑う。

「“気にすんなよ”って言いに来たのに、クシャミすんなよぉ!」

 それにつられて、寄ってきたメンバーも笑い出した。

 俺のクシャミは面白いらしく、ケンカの最中でもヒロは笑いが止まらなくなるのだ。

「クシャミが出れば、大丈夫! 後は俺達が取り返す!!」

 ヒロの左腕に付いているキャプテンの腕章が振り上げられ、メンバーがピッチに散らばった。

  

  

 俺とヒロは幼馴染で、幼稚園に入る前からずっと一緒だった。外よりも家の中を好む俺は、みんなとワイワイ動きまわるのが好きなヒロに引っ張られて、気が付けばサッカーなんぞをやっていたりする。

「動体視力と反射神経は抜群なんだからさ」

 そう言われて、ゴール前で両手を広げていたりするのだ。そ、ゴールキーパーってやつだ。

 俺の遥か前方で、声を張り上げているヒロは、その運動能力の高さと判断力の鋭さからキャプテンで司令塔。俺の自慢の親友なのだ。

「タカシ!」

 ヒロの声で我に返ると、敵のツートップが猛スピードでゴール前に攻め込んできた所だった。さっきはほんの僅かな差でゴールを割られた。今度は負けない! 俺は奴らの動きに合わせて身体を伸ばした。

バッシーン!

 大きな音を立てて、グローブがボールを弾いた。こぼれ球を拾いに来る連中よりも早く、俺はボールに飛びつき、センターラインで待つヒロにボールを投げる。俺の投げたボールは軽く弧を描き、ヒロの胸元に……当たる……筈だった……。

「ヒロッ!!」

 ボールが届くと思った瞬間、ヒロはピッチに倒れ込んでいた。ヒロの近くにいたメンバーが球を拾って敵ゴールへと走る。

「ヒロ!!」

 自分の守るべきゴールを放ったらかしにして、俺はヒロに駆け寄った。

 敵ゴール方向からホイッスルが響く。どうやら得点したらしい。

「キャプテン!」

 監督からタイムが掛かり、メンバーが次々に俺とヒロを囲む。

「ヒロ!」

 俺の腕の中、ヒロは目を開ける事なく俺の腕を掴んだ。

「ゴメン……」

 ――― 担架で運ばれるヒロを俺はただ見ているのが精一杯だった。

  

  

「ごめんなさいね、タカシくん」

 ヒロが運ばれた病院で、ヒロのお母さんが俺に言った。

 病室の前、そう言って肩を震わせる。

『ゴメン……』

 ヒロも言ってた言葉だ。

「ヒロね……」

 病室に入る前に……本人に会う前に知っておいて欲しいのだと、俺の手を握りしめた。

「貧血なんかじゃないのよ……」

 おばさんが、ハンカチで口元を抑えながら声を震わせる。

 ややこしい、聞いた事のない病名が告げられた。

発症に気付かず、既に手遅れである事。次に倒れたら最後だと告げられていたという事。

「なんで!?」

「ヒロが、タカシくんには、言わないでくれって……」

俺は、そんなに信用されてない……って事?

悔しくて、腹が立って、俺は病室のドアを勢いよく開けた。

「よっ!」

驚いたように、でも、満面の笑顔でヒロが手を上げる。

「試合、どうなった?」

 俺にベッド脇の椅子をすすめながらヒロが言う。

「タカシ?」

「……勝ったよ……」

「じゃ、明日、決勝だな」

 いつもの様に笑うヒロ。

「俺、出れそうにないんだけどさ、みんなには、頑張って……って……タカシ?」

 悔しくて、腹が立って、俺は、ヒロを睨みつけたまま、泣いていた。

「……聞いたんだ?」

 ヒロが困ったような顔をする。

「お前、絶対に泣くと思って“黙ってて”って言ったのに……」

 “母さんってば”とヒロが溜息をついた。

「……なんで……?」

 なんで、俺に黙ってた? なんで、そんな病気なんかに……? なんで、俺じゃなくて、お前が……。

 色んな“なんで”が頭の中をグルグル回る。

「……ヘッ……ブヒョッ!!」

 何かできる事がないかと聞こうとした途端に、これだ! 泣き顔にクシャミ……。ヒロが笑ってる。

「ヘコむなよ」

笑いながらヒロの手が何かを握っているのが見えた。

「……これ……」

俺の目の前に、腕章が差し出された。

 チームカラーの緑に淡い黄色のライン。ずっとヒロが付けていたキャプテンの腕章。

「明日から、お前が付けろ」

“お前のだろ!? 受け取れない!!”

 そう言いたかったのに、言えなかった。その震える手に、全てが分かった気がしたから……。

 頬の涙を袖でぬぐって、俺は、ヒロの手を押し戻した。

「俺にはキャプテンはムリだよ」

 自分の意思でサッカーを始めたわけでもなければ、続けてるわけでもない。ヒロがいたから、今、ここに俺がいるんだ。

「できるよ」

 ヒロがニッと笑う。

「俺が振り向かずに相手ピッチに駆け込めるのは、タカシがゴールを守ってくれてるからなんだし。それに……」

“みんなに信頼されてるのは、タカシなんだぞ”と俺に手を伸ばす。

「俺はいつも、お前を頼ってた。ひとりじゃ何もできないから、いつもお前を巻き込んでた」

 そして、“ゴメン”と頭を下げた。

 俺は、腕章を受け取るフリをして、ヒロの手を握った。少し熱い。熱があるんだろうか。

「分かった。預かる」

「タカシ?」

「明日、勝つから! だから、全国大会には、またお前が付けろ」

「タカシ、俺は……」

「でなきゃ、受け取らない!」

 分かってる。どんなに頑張ったって、明日からヒロがピッチに戻ってくる事はないんだ。でも、諦めるのはイヤだった。

「……分かった……」

 小さく微笑んだヒロの瞳に、涙が見えた気がした。

 

 

 決勝の相手は流石に手強かった。司令塔を失った俺たちは、ただただ攻めあぐねていた。

 時々、ヒロの代わりの司令塔が俺を振り返る。まるで俺に助けを求めるかのように……。当たり前だ。俺は“キャプテン”なんだから。

「……俺には、荷が重すぎるよ……」

 目を合わせられなくて、思わず呟く。

 逸らした目。伏せたその先に、キャプテンマーク。

「……ヒロ……」

『……タカシ……』

「え!?」

 一瞬、ヒロの声が聞こえた気がして、辺りを見回す。耳がボーッとして、歓声が大きくなる。きっと、呟いた自分の声が歓声に紛れて聞こえた空耳だと……思った。

『……タカシ。左……』

 ヒロの声だ!

「どこ!?」

歓声が大きくなる。静かにしてくれ! どこかにヒロがいるんだ!

『左……』

 左?

「キャプテン!!」

 ピッチからみんなの声が聞こえて正面に顔を向けると、相手のツートップが攻め込んで来る姿。見る間にボールがその足で弾かれる。

『飛べ……!!』

 どこからか聞こえてくる声に押されるように、俺は左に飛んだ。同時に視界にボールが映る。目一杯、身体を……手を伸ばした。

 手に触れるボールの勢い。それを抱え込んで地面に身体が落ちる。

「キャプテン!」

 みんなの駆け寄る足音が聞こえる。

「大……」

 “大丈夫”と身体を起こすのと同時に、腕からヒラリと落ちる緑の腕章。

『……タカシ……』

 遠くでヒロの声が聞こえた。視界が不意にぼやける。

「キャプテン?」

「どっかぶつけた?」

 みんなに悟られちゃいけない。俺の涙も、あいつがいなくなった事も……。

 落ちた腕章を着け直しながら、手早く涙を拭った。

 砂埃が顔の回りで舞う。

「……ホッ……ホィッショイ!!」

 耐え切れずに出たクシャミに、周りで笑いが起こった。

「大丈夫ですね?」

 笑いながらチームメイト達が頷き合う。

「いつもヒロキャプテンが言ってました。“あいつがクシャミすれば、大丈夫”って」

なにそれ?

「クシャミした後って、無失点なんですよ」

そうなの?

「ヒロキャプテンが言ってましたもん」

 ……ヒロが……。

 

 

 ピッチに散っていくチームメイト。

 俺は、大きくボールを投げた。

『タカシ!!』

 センターラインの向こうで、ヒロが手を上げてる。

 そんな気がして……。

 朝。鳥の声よりもずっと遅い時間ながら、

「ちょ、ちょ! ……も少し……」

 携帯のアラーム音で目覚める。

 眠い! すこぶる、眠い!

「何時?」

 6時? 7時?

 携帯に浮き出た時間は9時。

「遅刻じゃん!!」

 いや、待て。今日は土曜日だから……。

「休みじゃんよ」

 土曜日。9時。

「……じゃねーよっ!」

 慌てて飛び起きる。

 今日は、土曜日。

 今週は忙しかった。先輩に付いて得意先回りしたり、出張があったり……。お陰で、彼女と会うのは一週間振りだったりする。



 彼女と出会ったのは、昼時のカフェ。

「先輩!」

 大学のサークルが同じだったと微笑む彼女。

「お仕事ですか?」

 2年後輩にあたる彼女は、まだ学生で、ここで友人と待ち合わせだと言った。

 正直、人数の多いサークルだったから、彼女の事は記憶に無かった。それでも、慣れない仕事で疲れていた俺は、なんだかあの頃が懐かしくて、つい話し込んでしまったのだ。

「先輩、あの……」

 休憩時間ギリギリまで話していて、急いで戻ろうと席を立つ俺を彼女が引き止める。

 さっきまでハイテンションで話していたクセに、急に頬を染める彼女。

「俺さ、いつもここで昼飯食ってっから」

 その言葉に、

「はい!」

 バッグを抱きしめて彼女が笑った。

 そうだよ。その笑顔に射抜かれたんだ。



 今日は土曜日。今週は一度も会えなかったから、今日と明日はガッツリ会う!!

 待ち合わせは10時半に駅。映画見て、買い物して……。彼女の小さなわがままに付き合うって約束。

甘い? そんな事はない。クルクル変わる彼女を見ているだけで、十分楽しい。俺にとって、損はないのだ。

「……車、欲しいな……」

 電車に乗って、駅で待ち合わせ。それも楽しいけど、やっぱり、車でドアtoドアの方が色々と楽だしな。その為には、仕事して、免許取って、車を手に入れないとな……。

 などと考えながら、駅に到着。時間は10時。

 10時半の待ち合わせに、10時に到着。所要時間の計算ミスじゃないのかって? 違うんだな、これが。

 ほら。来た!

 ホームからのエスカレーターを降りて、すぐに彼女は俺に気付く。大きな瞳がさらに大きく見開かれて、慌てて携帯を取り出して時間の確認。少し考えて、首を傾げながら改札を抜けて、走り出す。

「ごめんね。遅刻……だよね?」

 “もう! 私ってば!!”と半ベソで俺を見上げる。

「怒ってる?」

 本気で遅刻したと思ってるみたいだ。

「怒ってないよ」

 可愛いやら、可笑しいやらで強張る表情。そして、それが、彼女の勘違いを増長させる。

「いっぱい待った?」

「え?」

「正直に言ってね。いっぱい待ったでしょ?」

 折角の約束の日に時間を勘違いしてしまった自分を責めるように、彼女が俺に答えを求めた。

「待ってないよ」

 今にも泣き出しそうな顔。その頭をポンポンとなでる。

「俺が早く来ただけ」

「ホントに?」

「ホントに」

 そうだよ。久し振りに会う、君の笑顔が早く見たくて。なによりも、君の声が聞きたくて。

「ナナは間違えてないよ。約束は10時半なんだから」

 そう言いながら、駅前の時計を指さす。時間はまだ10時過ぎ。

「もう!」

 途端に頬をふくらませる。

「本気で焦ったんだからね!」

 拗ねたその目の前に、手を差し出す。

 今膨れた頬が、シュッとしぼんだ。

「まずは、映画?」

「うん!」

 しがみつくように俺の手を掴み、彼女が笑った。



「……でね、シホったらね……」

 手をつないで街を歩く。彼女の口から一週間分の言葉が、次から次へと飛び出してくる。

「……って、言うのよ」

「そりゃ、酷いな」

「でしょ?」

 怒ったり笑ったり哀しんだり……本当に目まぐるしく変わる表情。

「あ! 可愛い!」

 スルリと腕を離して、ショーウィンドウに駆け寄る。

「ね、可愛いよね!」

「うん」

 可愛いのは君の方だと、そう思いながら頷く俺。俺が君を想うくらい、君も俺を想ってくれているだろうか? 一瞬ごとの彼女の表情を追いかけながら、ふと思う。



 気が付けば帰り道。

「家まで送ってくよ」

 はしゃぐ彼女に見とれてて、少し遅くなり過ぎた。

「うん」

 並んで座る電車の席。降りる駅がひとつ、またひとつと近付くにつれ、彼女の口から言葉が少なくなっていく。

 繋いだままの手を少し強く握られた気がして、握り返す。

 明日、また会える。

 そう分かっていても、離れたくない。

 彼女も同じなのだと、愛しさがこみ上げる。



「また、明日、な」

 彼女の家の前。今日一日で積み重なった想いを断ち切るかのように、手を話した。

「うん」

 頷いた彼女が俺に背を向ける。

 彼女の姿が玄関に消えるまでは……と思った矢先、彼女がクルリと振り返り、俺に抱きついた。

 唇に、優しい感触。

 彼女からの初めてのキス。

「今日は楽しかった。だから、そのお礼」

 彼女からなんて、予想もしてなかった俺が呆気にとられる。

「また、明日ね」

 恥ずかしそうに頬を染めて、再び家に向かう彼女。

「ナナ!」

 その腕を掴み、引き戻す。

 腕の中には、何よりも愛しい彼女。

 耳元で、そっと囁く……。






  ――― もう一度 Kissしよう ―――