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新馬場的壮年のブログ

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昨日で北京オリンピックの柔道の試合が終了した。

塚田選手の金メダルが終了8秒前に逃げていった、衝撃的なシーン。あれがヨーロッパの選手であれば、逃げまくっていただろうになんて思いましたが、自分の柔道をやって負けたのだから納得のいくものでしたのでしょう。一番悔しいのは本人ねのですから。

100キロ超級の石井選手は、決勝戦で負けない柔道をしましたと堂々といっていました。一本勝ちにこだわらず、現代柔道での勝つ方法を知っているといっても過言でないでしょう。でも、それは日本での柔道の美学とはおのずから違うものになっているはずです。

しかし、世界の柔道となった今、ヨーロッパ式のポイントを取りに行き、リードを保つという試合の流れは変わらないのではないでしょうか。

でも、柔道の面白さは、塚田選手には申し訳ないのですが、やはり試合終了に1秒前でもポイントでリードしていても一本勝ちが決まれば大逆転が成立するというところでしょうか。これがあるから選手は技を磨くし、ダラダラと流れる試合ばかりにならないのではないでしょうか。

ともあれ、心を打つシーンを与えてくれた選手の皆さん、ご苦労様、そしてありがとう。

残念ながら銅メダル、でもこの期待の中の重圧、子育てをしながらのオリンピックへの参加(企業の手厚い応援体制があるとはいえ)本当にご苦労様、そしておめでとうと言います。

準決勝での敗退、優勝したドミトリ選手に対する敗戦で、判定についていろいろ言われていますが、その後、ドミトリ選手が、鮮やかな一本勝ち、しかも、やわらチャンに負けていた技で勝った(払い腰?)しかも出会い頭にかける特徴など、優れた技のある選手だなと思いました。

柔道は、日本で作り上げられ世界のスポーツとして競技人口の広い競技になりました。特にヨーロッパでは幅広く,優れた選手を輩出しているようです。また、運営においては、アジア主導からヨーロッパ主導へと変換が図られ

いまや、日本からの選出理事はいないと聞いています。

そこで、ルールの変更がはかられ、レスリングのようなポイント制が強く出された判定、技がかけられたほうが死に体であり、そこで勝負が決まるという日本古来の判定基準でなく、最初に背中が付いたほうが負けなど、日本古来の考え方が通らなくなっているのも事実です。きれいな一本勝ちを求めていく選手がポイントを稼ぎ,判定で勝つ負けない柔道に負けてしまう最近の世界の、日本の柔道を嘆く人がいます。

しかし、思うのです。

日本の柔道から世界の柔道になったということは、試合のルールが世界の基準に沿って変わっていくことはやむを得ないことで、日本の選手もその変わっていくルールに沿って技を磨いていくしかないと。

もともと、柔よく剛を制すという柔道を体重別競技にして世界の柔道にしたのですから。

先日「せみの声のメッセージ」を頂き、早速返信しようとしたら受信を受け付けない登録なので送信できません。ということでした。

残念!!(古いか?:でもあの彼、一生懸命イメチェンしてますよネ)

しかし、

セミの声には想いがあります。

思えば、セミの声が聞こえるようになったのは何時のころなんでしょうか。

この年代で、思い出すのは、お盆が過ぎて、残りの休みが2週間を切るごろ、熊せみのあのうるさい鳴き声が猛然と耳に入ってくるのです。あせって集中しようとするほどうるさい声です。

でも昔は、あのセミを取るのが夢でした。大きくて透き通った羽、独特の声、とった時の鳴き声、たまらなくなり外に取りに行ったこと。

でも、最近おかしいんです。7月末からあの熊せみの鳴き声があるのです。しかも、8月に入ったら、ツクツクボウシが鳴くのです。

ツクツクボウシなど、夏休みのなごりを思い出させるセミなのに、なんでこのごろなのか?


連想できるのは、地球の温暖化。自分はその専門家ではありませんので断定できませんが、2週間も早く鳴くようになったクマゼミ、夏の終わりを表現していたツクツクボウシがこの頃から鳴くなんてやはり着実に地球温度が上昇している「証」かもしれません。


少なくても、成熟社会といわれる日本でリタイヤしていく人にとって関係ないともいえます。あとは自分たちでやったら。という思いでもあります。


でも自分は正面切って考えて行きたいと思います。それができる戦後派だと思います。


自分がどうなっていくのかを前提に意見がほしいですね。