前回めぞん氏について書いた記事に引き続き
https://ameblo.jp/takejiro100/entry-12635964880.html
いつもの読者さん向けの記事でなく、ゲーム、それもレトロゲームが好きな人向けに書いた記事であり、あらかじめこのゲームやそれの背景を知っていることを前提として記事を書く。
前回は18歳当時、めぞん一刻氏にお会いした時のこと、その15年後東京で彼とお会いした時のことを書いた。
めぞん氏は初代グラディウスの、高次周面の復活パターンを編み出した名人だった。今回は彼の訃報を聞いた当時のことを書いてみたい。
めぞん氏がネット界隈に現れたのは、2001年の3月〜4月頃だったと思う。奇しくも今からちょうど20年前だ。2ちゃんねるだったか、通常サイトの掲示板だったと思う。
(今はブログコメント欄や、SNSに書くのが主流だが、当時はFTPでアップしたサイトがあり、そのサイトにBBSと呼ばれる掲示板がリンクしてあるのが一般的だった。)
⬇︎グラディウスデラパでSS版。
1996年3月発売なので、2001年当時は既にあった。撮影は最近。
「へぇー、あの有名なめぞんさんが⁉️」と言った感じで。当時の私はゲーム、それもグラディウスシリーズのサイトを持っていて、そこから繋がり複数の人とめぞん氏とコンタクトが取れ、都内の居酒屋でお会した…という流れだったはずである。
⬇︎グラディウスデラパの中身。撮影は最近。
前回の記事では、その居酒屋でのめぞん氏との会話内容が書いてある。今回はその後になる。
居酒屋で飲み食いしたあとだったが、そのめぞん氏は仕事が決まらないようで、かなりイライラしていたようである。彼のサイトに不満や愚痴を書いていた。
私は死というのが必ずしも不幸ではないと認識してるが、当時の私はそんな知識もなかったが、今思うと「大丈夫、必ず上手くいく」という言葉を知ってた方がいいのだろう。
そしてその後、めぞん氏は仕事が決まったと聞き、皆で良かったと話していた。
2002年1月か2月だったろうか、めぞん氏が激痛で病院へ行った…と聞いた。原因は○○結石だという。○○の部分は記憶にないが、腎臓か尿道だろう。ただ入院は数日であり、症状は大したことないということ。○○結石の場合、医学的には大したことなくても、痛みだけは拷問以上に痛いらしいので。
2002年9月の上旬くらいだったろうか、めぞん氏の訃報をネットで知ったのだ。私は心臓が止まるほど驚いた。何で⁉️自分と同じくらいの歳なのに❓
私は当時交流のあった、新小岩のゲーセンの店主のところまで行った。
私「めぞんさん亡くなられて悲しいです」
店主「早すぎましたね」
私「でも○結石は、今の医学なら死ぬ病気ではないと思うんですが…」
店主「いやそれが、結石なのか全く不明なんですよ」
彼に聞いた話によると…
2002年9月に入り、めぞん氏が職場を無断欠勤したという。彼の自宅や携帯に電話しても全く通じない。同時期にめぞん氏の友人も彼と突然連絡が途絶えてしまい、心配していた。
それで、アパートの大家か管理会社に連絡し、許可をを得て部屋に入ったら…
こたつのような机に座り、両腕で頭を抱え込むような姿勢でじっと。扇風機が回っており、DVDかパソコンはスイッチが入ったままであった。
1980年代、当時10代か20代くらいでゲーセンでハイスコアを叩き出したスコアラーがいたが、30代とか40代くらいでかなり早死した人が多いのは気になる。死因も病気、交通事故、自殺、そして不審死。めぞん氏は不審死だった。
その後当時のネット仲間も、「めぞんさん、きっと天国でもグラディウスやグロブダーをプレイしてますよ」と言ってたのを思い出した。
あと、彼が亡くなった部屋にめぞん氏が書き残したメモがあって、「復活パターンを画面上部に張り付いてやる方法を見つけた」と書いてあったそうだ。まるでフェルマーの最終定理のようだが、最近それを発見した人が現れ、驚いている。
⬇︎2021年元旦、アーケードアーカイブスにてダウンロードした「グラディウス」を起動させたところ。Nintendo SwitchかPS4で遊べる。時代は移り変わっていく。