前回の記事で天明の飢饉について書いた。
80年周期説で3サイクル、約240年前の1780年代に頻発した異常気象で大飢饉になった例である。
複合大噴火(1989)という本の最初の1ページ
これは前回も載せている。この本は当時の苦悩や混乱状況を、フィクションを交えながら面白く書いた本だ。
せっかくだから次のページも載せる。
鯨が来て🐳大変な騒ぎになっていたようだ。
異常気象の原因は何❓
と言われても、わからないのが実際の所だ。が、1783年6月に噴火したアイスランドのラキ火山の火山灰が原因と言われる。火山灰が成層圏に上り、地球を回って地球の気温を下げるからである。
ただし火山噴火しても、ある場所では寒くなるが別の場所では暑くなったりする。
天明の飢饉から30年後の1816年、ヨーロッパやアメリカ北東部は以上に寒い夏になってしまい、「夏のない年」と言われた。前年1815年にインドネシアのタンボラ火山の大規模噴火が原因とされたが、日本ではこの年普通の夏か、やや暑いくらいにだった記録がある。
そして天明の飢饉の1783年、この年が異常な冷夏だったのは何度も書いたが、ヨーロッパでは全く逆で猛暑のかなり暑い夏だったという。
⬇︎の図参照 1783年夏の偏西風の流れ
しかもアイスランドでは、火山ガスの青い霧が充満し、呼吸器をやられる者が多数。英国にもこの火山ガスが届いたほどだ。
この時代当然だが、地球上どの国にいても自分の住んでいる場所のことしかわからない。自分の場所で冷夏でも、地球の裏側では猛暑で火山ガスに悩まされている…など知る由もない。
・日本人は本当に大人しいか❓
よく、日本🇯🇵人は大人しい、フランス🇫🇷や香港🇭🇰を見ろ…と言う人もいる。しかし、日本人も半世紀前は、今では考えられないほど抗議やデモ活動は活発だった。
江戸時代、特に天明や天保の飢饉の時代は、百姓一揆や打ちこわしなどかなり頻繁にあったので、もし仮に飢えに苦しんだりした場合、日本人がいつまでも大人しいかは甚だ疑問である。
この1782〜88年の天明時代は、日本では
・天明の飢饉で米の大凶作
・問屋の買占め、売り惜しみ
・米価の暴騰、餓死者の続出
・全国的に一揆や打ちこわし多発
・田沼意次の失脚
・松平定信が台頭と1790年代の寛政の改革
フランスでは、1783〜89年の間
・干ばつにより小麦の大凶作
・パンの価格が暴騰
・庶民による暴動
・1789年のフランス革命
1780年代は大激変期だった。
その根本原因は国民の飢えにあった。
今の日本だとGDPがどんどん低下しており、新しい飢え(餓死者は出なくても、食料や日用品の供給に困る事態)があってもおかしくない。もっとも、この時代のような不作による餓死は流石にないだろう。
ひょっとしてあるかもしれないのは、ハイパーインフレによるものである。私はハイパーインフレはあってもおかしくないと考える。
80年周期説から導き出される結論だ。
無論、そんなことは起きないよう願うだけだ。
12月8日17時追記更新
このサイトには、江戸時代の弘前藩の毎日の天気の記録があった。こちらのデータを参照する。
1783年(天明3年)5〜8月の毎日の天気
天気だけでなく、死んだ人や火災のこともしょうさに書いてある。この日記は1660年から明治維新の1868年まで、合計200年以上の記録がある。
1783年5月 悪天が目立ち始める。
1783年6月
1783年7月
関東以西は梅雨明けした月末、が、来月初めくらいしか夏は続かなかった。
1783年8月
このように悪天候が多く、晴天が少ない。
おまけ
1784年(天明4年)8月
翌年1784年は前年よりかなりマシな天候で、晴天もかなりある。だが、あちこちに洪水もあったのと前年の後遺症で飢饉は更にひどくなり、現在の青森県である弘前藩、黒石藩では大量の餓死者を出した。