ヒトに玉を握られながらて生きていく
男にしかわからない表現かもしれないけど、
事業収支の数倍も金融機関へ返済が決まっている私は、ここのところこんな感覚と仲良くしている。
自分でコントロールできない状態、おそらく女王様とのプレーはこんなものか?
もしプレーなら互いが常軌を逸しない限り、予定調和、
またはあらすじのようなものがあり協働作業は何事も無かったようにおわるのだけど、
リアルな中で借金をしながら経営しているとプレーのようには終わらない怖さがある。
何を持って資金を引き上げたり、貸したりするのか?
いまさらながらだけど、これはすべて銀行の胸先三寸、向こうの都合である。
ある人にとってはあたりまえの世界、
ある人にとってはまったく関係の無い世界、
ある人にとっては思ってもみなかった世界、
世界はそれぞれの立ち居地で変化し、実態はひとつの事象をとってもさまざまな解釈の中にある。
このような状況になったとき、あーいやだ、いやだと叫ぶのもひとつ
歯を食いしばり声を漏らさずに耐えるのもひとつ
耐えて耐えて、あーっと最後に声を漏らすのもひとつ
わたしは耐えて耐えて最後に結局声を漏らすタイプだと思う。
これは快感原則とか言うもんじゃなくて、癖のようなものだ。
性質なのかな、結局は声を出すはずだ。
理性ではわかっている、叫んでみたところで現実は変わらないことを。
だけど叫んでしまう、またそうしてしまうことは容易に予想がつく。
人は状況に応じてその感情と理性を使い分ける生き物だけど、
実際のほとんどは、感情や感覚、感性を使ってで判断し決断する。
だけど困るのは、判断と決断が同期化するということだ。
何か行動を起こすときに、
合理的には最低三種類ぐらい情報ソースを集めて多角的に比較検討し行動を決めるのが良いというのはわかる。
だけど実際の生活ではそうは問屋は卸してくれない。
まったく準備や情報が無い場合でも決断していかなくてはいけない。
結局雰囲気で決断していることもままある、どころかそればっかりだ。
押切もえは、整形したとかしないとか、そんな風評にさらされている。
すこし調べれば、ビフォーアフターとか言って整形疑惑が公然と昔の写真が公開されているところにもすぐにたどり着く。
見えない世論に支えられ、見えない世論に打ち負かされる。
そんな人気商売のもえちゃん(個人的にまったく興味が無い=男性的視線対象には無い)になぜか自分を重ねる。
私も他人資本に依存する人生の中で、見えない力で生かされている。
ひょっとするとこの見えない力ってやつに壊されそうな私もいる。
時間をかけて断ち切らなくてはいけないのは社会的に容認されない状態。
不徳の塊である私は保証人制度という縄の中で社会に束縛されて生きていく。
ふと思うとなぜと感じることがある。
いったい何の因果で私は縛られなくてはいけないのか?
こういう状態が好きなヒトならともかく私はあんまり好きじゃない と思う。
だけど、常態と化した現在の状況を楽しんで受け入れていくことしか乗り切る術が無いように思う
だから努めてM気質を理解しようとする。
だけどなんにも気持ちよくない、
きちんと社会に向き合えば向き合おうとするほど私にとっての変態化が求められる。
神様も哲学も頼りになんない。
自分の中に答えはあるはずだけど、自分自身がいい加減な情報をもとに動いているのを知っていて
何をどうすればいいの?
よくよく考えると、わかんないことだらけだ。
グロ-バリゼーションも憲法改正も地球温暖化もすべてなんとなく理解できるにしかすぎない。
なんにもしらない、なんにもわかんない
でも決断しなくちゃ、生きなくちゃ
芸術に惹かれのは
縛りのある世界で活躍する他者を見ることによって
私自身と共有できる何かを見つけているから
ただ感じれば良い世界、傾きものががんばっている世界は私にとって大切である。
傾きもんとして生きるのは芸が必要だけど、私がそれを身に着けるまでまだまだ時間がかかりそうだ。

