だれにでもできる<還元> | takehisaのブログ

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 先週の記事を、たくさんの方にお読みいただきありがとうございますm(_ _)m 「いいね!」をしてくださった方は11名にものぼり、新しく読者登録をしてくださった方が1名おられ、あまつさえ、過去の記事にまでさかのぼって、「いいね!」をしてくださった方もおられました。感謝感激雨あられです。
さて、フッサール現象学の経典『イデーンⅠ』の解説は、先週の『さらに精神医学でも使われている「ノエシス―ノエマ」について(イデーンⅠ解説その10) 』でおしまいです。今週からは引き続き元本、竹田青嗣『現象学入門』のつづきを関西弁で語っていきましょう。でははじめましょうか。

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 すべてを括弧に入れること、いうたら、判断停止すること(エポケー)を<還元>いうんやけど、これは明瞭で固有の方法やから、この方法を理解できたら、<還元>を様々な問題に適用できるんや。せやから、これから出てくるさまざまな問題についても、ぼくらはフッサール先生と一緒に、考えをすすめていくことができるというわけよ。

 フッサール先生はこういうたはる。現象学は「事実学」やのうて「本質学」やと。「事実学」いうんは、さまざまな、世界のものごとの存在の構造がどうなっているかを、近代科学を基礎として考えていくんがそれよ。せやけど、そのことは、もとからある特定のものの見方と、それによって切り取られたひとつのフィクションを必要とするんよ。

 それとちがって、現象学は、ものごとの「本質」を研究の対象とするんや。つまり、”独りよがりの前提”にまで立ち返って、自分の<意識>のことがらだけを反省に与えられるとおりに見るっちゅう方法をとるわけよ。いうたら、意識のありよう「ありのままに」記述するいうことやな。

 この作業は、たとえば目の前にある「赤いリンゴ」いうような具体的な対象物について語るっちゅうやり方で、<意識>のことがらの「はたらき」をそのまま観て取るいう性格をもっとるんよ。このことを理解するんが、現象学の理解の最大の急所いうこっちゃな。なんでかいうたら、この”反省にあたえられているもん”を表現するやり方は、人によって違うやろうけど、すくなくともそれは、解釈や推論や思いこみがつけ加わることによる違いを表しとるんやないからや。

 みんなにやってもらいたいんは、現象学を、自分の意識に生じとる対象が、どんな構造として生じとるんかをじかに見るためのひとつのトレーニングやと考えることや。

 現象学は、自分の意識の本質的な構造を「あるがままに」見る方法やから、そのコツをつかめば、だれにでも自分なりに試みてみることができるんよ。要点は、<主観/客観>図式(<主観>と<客観>が一致するんかどうなんか)を取り払うこっちゃ。つぎに本質を観て取るいうことの意味合いをよくつかむことよ。

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 みなさん、ここまでお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m お疲れになったでしょうから、コーヒーブレイクでもどうぞ。今後は、『イデーンⅠ』に代わって、フッサール先生の晩年の主著『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』にそって関西弁で語っていきたいと思います。ではまた来週~。(^_^)/~