寺山修司の『草迷宮』 | takehisaのブログ

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 唐十郎の作品も、ネタが尽きてきたので、ライバルだった寺山修司脚本・監督の『草迷宮』(泉鏡花原作)について書いてみたいと思います。こちらは、1979年にパリの映画館で上映されたものなので、前衛的で、うまく書く自信は全くありません。


 「一つ重箱、二つはつづら、三つさらさらお振り袖。誰にやろうと買ってきた。お春にやろうと買ってきた。お春はどこで死んだやら、てんてんてん・・・」


 明(若松武)が、死んだ母(新高恵子)の歌っていた、この手毬唄の歌詞の続きを知りたくて、母の学校の校長、僧侶、老人(いずれも伊丹十三)に聞いて回る映画です。


 冒頭から、母が生きていたときの回想に変わります。少年の明(三上博史)が、土蔵に続く赤い帯に誘われて、中に入ると、若い女(中筋康美)が「ちっち、ちちちっち、ち、ち」とつぶやいています。バックには、「てんてん、てんてん、てんてんてん、てんてんてん・・・」というリズムが流れています。女は明に、「おかえりなさいませ。お風呂になさいます?それともご飯?」と聞いて、御膳を差し出しますが、いきなり自分の着物を脱ぎ、明の着物も無理やり脱がせて、性交をせまります。バックのリズムが激しくなりますが、あの手毬唄が聞こえてくると、明は女を払いのけ、全裸のまま、着物を持って、砂丘の頂上まで続く帯の上を走って逃げていきます。


 家に帰ると、明は、母から、あの女は千代女という「色きちがい」[魔性」だと知らされます。男を待っている間に、頭がおかしくなってしまって、土蔵に座敷牢同然に閉じ込められているのだと。


 明が、「もし(千代女が)外に出て、ぼくを連れて行こうとしたら?どうする?」と聞くと、母は、「大丈夫。お前にはお母さんがついていますからね。」と言います。しかし、明が千代女と交わったのを知った母は激怒して、明を木に縛りつけ「あのきちがい女が近づかないように、おまじない」をします。「おまじない」とは、明の全身に、筆で「てんてんてんん」とか「どこで死んだやら」と書くことでした。


 この映画の中では、夢と現(うつつ)の間で「見世物小屋」に出てくるような、異形の者達が、色とりどりの衣装をつけて大立ち回りを演じます。こちらに恐怖の念を起こさせる映像も出てきます。おかっぱ頭の白塗りの顔をした機械じかけの自動人形やら、首だけになってもてあそばれる明の母やら・・・。


 泉鏡花の『草迷宮』が発表されたのは、1908年(明治41年)ですから、当時の光景を再現しているわけですが、「レトロ」を通り越して、「異文化」と呼びたくなるほどです。広告の看板、天秤棒をかつぐ人、女郎屋の光景などです。


 ラストでは、大人の明(若松武)の前で、奇妙で華やかな衣装をつけた子どもたちが、輪になってぐるぐる回っているところで終わります。中には、辮髪(べんぱつ)にしている子供もいます。


 このラストシーンは、夢ではなく現実です。


 この映画は、観たあと、精神状態の平衡を崩されるような、エロティックで、幻想的で、言葉にしにくいような作品です。