3歳の頃、両親が離婚し
私たち兄妹は母親に引き取られ
養育費も一切貰わず
いろいろ苦労もありながら
何とか今まで生きてきて、
母親はそれ以上の苦労があったと思います。
離婚の原因は父親の母親への暴力だったらしく
私は3歳で父親とは別れているので
そんな記憶は全くなく
顔すら覚えてなくて
おぼろげに記憶があるのは
遊んでもらったことくらい。
母親にはずっと父親の悪口を聞かされてきました。
幼い頃は
お父さん酷い!嫌い!
お母さんを幸せにしてあげたい、と
純粋に思い
学校の勉強も一生懸命して
子供の頃は
勉強頑張ればお母さんを幸せにしてあげられる
そう信じてました。
中学くらいから
いろいろなことが分かり始め
少しずつ複雑な気持ちが芽生えてきました。
私は自分のやりたいことって何だろう?
でも、自分のことばかり考えてはいけない。
進学に関しては
シングルマザーでお金もないので
葛藤しながらの選択。
周りが自分が行きたい進路に
普通に進めていることが
本当に羨ましかったです。
結婚して自分が子供を初めて産んだ時
無性にお父さんに会いたくなりました。
親族に相談すると
今会ったら、老後の面倒を見てくれなど
言われるかもしれない。
その覚悟があるなら会いなさい。
母親に関しては
取り乱し、
お父さんに会ったら、お母さんのこと
聞くんやろ、とヒステリックに言われ。
これまで会っていなかった父親の
老後の面倒を見る自信もなかったし
私と母親との関係も悪くなる、と思い
会いたい気持ちは封印しました。
それでも私にとっては血の繋がった親子。
母親や親族にとっては赤の他人だし
酷い人という思いしかないだろうけど。
どこか心にずっと居たのは間違いありません。
先日、そんな父親の住民税の納付通知書が
私を代表承継人として自宅に送られてきました。
ドキッとしました。
開封してみると、
どうやら亡くなったらしく。
市役所に問い合わせると
戸籍をたどって、最初に行き着いた人に
送られるんです、と。
45年、全く関わりがなかったことを伝えると
家庭裁判所で相続放棄の手続きが必要なので
聞いてみてください、と。
兄にも連絡をしたら
関わりはなかったし、もしかしたら借金があるかもだし、仮に財産があったとしても、今さら受け取るのも何だし、もう放棄で良いんじゃない?と
意見は一致。
相続放棄には
父親の戸籍謄本や戸籍の附票やら
いろいろ書類が必要で
何せどこに住んでいたのかも全くわからないので
市役所の方に尋ねたら
私の戸籍を父親と一緒だった時まで遡って、
それから父親の死亡時の戸籍を辿っていくしかない、と。
死亡の事実を知ってから
3ヶ月以内に手続きが必要らしく
落ち着かない💦
区役所で父親の戸籍謄本のことを話し
出生から死亡までをお願いしたところ
15分くらいで取れると聞いていたのに
何と1時間半かかりました😳
区役所の方もウンウン唸りながら笑
一生懸命してくださりました。
とりあえず無事に父親の戸籍謄本はとれて
少し安心しましたが
もー、いろんな感情と向き合いながらの作業で。
45年分の思いが容赦なく頭を巡ります。
結局、会えずに終わってしまった。
もう、二度と会えることも
頭ポンポンしてもらえることもないんだな。
呆然としているところに
兄から一部始終を聞いた母から電話。
こういう訳で放棄するけど、
放棄しますって言うだけじゃダメで
家庭裁判所で手続きが必要みたいよ。
すると、
母親の父はこんなに酷い人だったの話が
始まりかけたので
ごめん、
私にとっては実の父親が亡くなったんだから
今はそれは聞けない、
そう言ってすぐ電話を切りました。
母親には母親の私には分からない感情がある
でも逆に私には私にしか分からない感情もある
それは仕方のないこと。
兄もすぐ言うなよー笑
戸籍謄本を見たら
死亡届を出した人が
家屋管理人の方になってるので
孤独死だったのかな。
戸籍謄本には知らない事実がたくさん😳
母親と離婚した後
お2人の方と結婚離婚を繰り返し
最後に結婚された方とは
お子さんはいなかったみたいだけど
30年以上、長く結婚生活は続いたようで
5年前に先立たれたみたいでした。
よくまあ、それだけ出会えたな、
父親はモテたんかな?笑
実際は寂しかったんだと思います。
最後に寄り添って生活してくださった方が
いてくださって良かった。
夫婦仲がどうだったのかは分かりませんが。
その後は寂しかっただろうな。
どんな生活してたんだろう?
私たち兄妹に頼ることは考えなかったのかな。
今更会わせる顔が無かったのかもしれない。
たまには会いたいって思ってくれてたかな?
やっぱり、子供が生まれて会いたいと思った時
どうにか会っていたら良かったのかな。
そんなことをぐるぐる考えてしまいます。
兄とも久しぶりに電話で話し
父親の話しをして
母親は100%お父さんが悪い、だから離婚した、
と言ってだけど、私は100%悪い人間っていないと思うんよね、
と言うと
そうそう、
小さい頃は遊園地に連れて行ってくれたりしてたよ、と兄。
兄だけでも気持ちを分かってくれて
ちょっと救われました。
こうやって兄妹で笑って思い出話してることが
お父さんの供養よ、と。
そやね。
相続放棄の意見も一致したし
兄も手続きには協力的で
頑張りましょう、と言ってくれるのが
幸いです。
45年分の思いは
それはそれは壮大というか
本当にいろいろなことを考えてしまいます。
実際、妻に暴力を振るう夫なんて
本当に酷いです。
でも、私にとっては父親という事実。
父親への思いは封印して
母親を傷つけないように気遣ってきたけど
だれか1人でも
お父さんに会いたいよね、
そう思うのは当然のことなんだよ、
って分かってくれる大人が
子供の頃、側にいてくれてたらな。
お父さんに会いたいなんて思う私は
お母さんを傷付けてしまうし
そんなこと思ったらダメだし
そう思う自分が悪いんだ
そんな気持ちで過ごした子供時代。
でも、今は大人になったので
子供の頃の自分の気持ちは
感じて当然の感情だったと思います。
いっそ嫌いになれてたら良かったのにな。
全く記憶がないのも
それが難しかったとこでしょう。
今は複雑な気持ちを抱えながら
顔も知らない生き別れの父親の一生を辿る
という作業をしていますが
これも、私自身が、
過去の自分も整理して
これからの人生を続けていくのには
大切なこと。
ひとつずつやっていけば
何とか大丈夫そうだから
今は集中して頑張ります💪
天国で父が穏やかに過ごしてくれていたら
嬉しいな。安らかにお眠りください。
長い人生のおつとめ、お疲れ様でした。
そんなことを思いながら
最近お天気でやたら綺麗な青空を
眺めるこのごろです。