阿川さんの話を以前聞いたことがあったので
「聞く力」を買いました
(2010年の天野祐吉さんのイベントでした)

普段から「傾聴」なんて言葉を使っていますが
ひとの話を聞くことはけっこう大変

企画力、質問力とかプレゼンテーション能力
とかもちろん磨くべきことはたくさんありますが

聞くことの大切さ

をここ最近痛感しています
だからこそ、この聞くは絶対に手を抜いてはいけない

そして真剣に聞くことはすごく疲れるし
体力のいること

本の中でもインタビューすることで
気がつかない間に肩こりがひどくなっていたと
阿川さんも書いていました

聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)/阿川 佐和子
¥840
Amazon.co.jp

ポイントとして「なるほど~」と思ったのは

・自分の話を聞いてほしくない人はいない

・「あれ?」と思ったことを聞く

・段取りを完全に決めない

・自分ならどう思うかを考える

・安易に「わかります」と言わない


自身でも気づいたことを明確にしてくれている
ところがいくつもあったので

「そのキモチ分かる!分かる!」

と思っていました

最近ソーシャルメディアで「傾聴」とか言っていますが
まずは自身がクライアントの意見を傾聴する機会が多くて、
その話の中に課題の解決できる発信内容
がたくさん埋もれていたりします

社員が気づいていない魅力とかユーモア

を話を聞くことで、それをユーザーに話題にしてもらう
そのヒアリングの機会をできる限り多く持ちたいと
心がけています

だからページ数の多い企画書を持って自分の話を
長々とするよりも、サラッと話をして後は
相手に話してもらった方がよかったりするのです

そんな私自身の人生において、今までは相談されることは
なかったのですが最近は相談相手になることも
増えてきました

そもそも私も人に話を聞いて欲しいタイプですからね
そんな自分を知ってこそ逆の立場の気持ちを分かることで

聞く大切さ

を知ったのかもしれません

オテルド摩耶

今週の半ばは神戸に出張に行ってました
場所はオテル・ド・摩耶

日本三大夜景のふもとにある施設
ホテルは
「宿泊する場所、そこに食事もついている」

ですが

ここは宿泊施設を兼ね備えたレストラン
それをオーベルジュというそうです

正直、現地に行くまでその意味もよくわからず
行って初めてこんなスタイルがあるんだと
思いました

料理はこんなカンジ

オテルド摩耶

オテルド摩耶

絶景の山を前にして
こんなイタリアンを味わえるなんて

まさにプチセレブ気分
そのままワインも頂きたいところですが
それはお仕事ということでNGでしたが 

こういうスタイルはもっと日本でも浸透してもいいですよね

・・というか知っているひとはすでに隠れ家として
利用しているんでしょうね

レストラン中心の宿泊施設といっても

ジャ~ン!!!
ジャグジー!!!

オテルド摩耶


これはデートにもってこいですよ
もしくは記念日とかね

なんといってもこの夜景があるわけですから

ド~~~ン!!!

オテルド摩耶

お昼は割とご年配の夫婦が多かったですが
夜はカップルばかり

来ているお客様を観察していましたが、そのうちに

ひとりで夜景の前にしてウロウロしている自分

は他のひとからするとどう見えるのだろうか・・・
途方にくれてその場を跡にしました

今回はお仕事でココに来たのですが

旅先に恋をした

というか、また来たくなる、そんなつながりを大事にしたいと
旅の中で感じるようになりました

それはきっと東北へボランティアへ行ったことが
きっかけだと思うのだけど

旅のあり方

ってその土地とのつながり作りの演出
が求められているんだと思う

それは「絆」という一言では片付けられない
旅を想うチカラのようなもの

恋は遠い花火ではない

みたく

遠距離恋愛のようにその旅を想う

という視点があってもよいのかなって。

出張という名の旅で、旅で主張できることを
考えるいいきっかけにもなったのでした

最後に、このオテル・ド・摩耶でいろいろとお手伝いを
させてもらうことになりますので
是非是非皆さんも足を運んでみてくださいね
【宣伝】

・・・ということで最後にステルスと言われないように
【宣伝】マークもつけておきました




以前「かわいい子にはオシャレさせろ」なんてことを書きましたが

先日こちらで撮影会に行ってきました

ただ記念日を形式とおりの1枚の写真に納めるのではなく
どうせならその1枚をオシャレに宣材写真に使えるくらいの
クオリティにできるのがココ

説明なんかするよりも写真見たら
一目超然ですね



こういう「場」を通して、自分が舞台にあがるというか

ステージでスポットライトを浴びる快感

を体験させることも親はさせた方がいいと思う

それを子ども自身がどう思うかはさておき
子どもが何かを決めるきっかけになったりする可能性
を親と子どもで一緒に考えることが必要

習い事をさせたり、スポーツさせたりというやり方もあるけど
芽を摘まないよう心がけたいと思うわけです


吉本隆明

吉本隆明さんがお亡くなりになって
まず思ったことは

それを糸井重里さんはどう思っているんだろう

ということ

同じことをスティーブジョブズが亡くなったときに
「さとなお」さんはどう思うんだろうと。

自分が好きなひとが尊敬するひとを失うことで
改めてその作品に触れて、よくやくその価値が分かる
・・・というか気づくことって最近増えてきました

家の近くの図書館で「吉本隆明さんを偲ぶ」と題して
借りてきたのこの本

悪人正機 (Καρδια books)/吉本 隆明
¥1,260
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そのまま吉本さんの本に触れるのは
恐れ多いのかまずは糸井重里さんという

フィルター

を通して読んだんですがすごい発見があって

あぁ だから糸井さんは吉本さんの話をよく
引き合いに出すんだなぁ

と今さらながらに思いました

本の中でも手帳にメモった言葉を抜粋


じゃあ、なんでもともと一等初めに書く仕事っていうか、
表現を始めたんだって言えば・・・
実感としては、自分に対する慰めって言いますか。
自己慰安ですよね。
(”「仕事」ってなんだ?”より)


自分だけがストイックがストイックな方向に
突き進んでいくぶんにはかまわないんですけど、
突き詰めていけばいくほど、他人がそうじゃないことが
気にくわなくなっていきましてね

(「正義」ってなんだ?」


例えば「ユーモア」を「笑い」ってことに言い換えて
考えると、自分が観察者の場所にいる限りですけれども
人間の精神状態を新鮮化するというか、新陳代謝をよくする
っていう意味では、これは大変は効用を持っているもので
すげえいいもんだなって思いますね。
ただし、いかなる時でも、必要だとは思いません。
時によっては、ひとつの危なさっていうのがあるんですよね。
その危なさをうまくすりぬけないと、本当は危ないもんなんだよって
にもありますね。

(「ユーモア」ってなんだ?)


もうわざわざ解説の必要がないっていうか
(この本の中ですでに糸井さんが解説している)

言葉に救われる

っていうのはこういうことかなって思ったわけです

この本自体東京→新神戸間の新幹線の中で
読んだというのもありますが伝わり方というか感じ方

感性が磨かれた
というか
感性の錆びが少し取れた

ような読後感でした

またこの本は何度も読みかえすことになるでしょうね



どうもホワイトデーは難しい

そもそもホワイトデーは必要なのだろうか

しかもバレンタインデーは

チョコを贈る


という贈るモノがある程度決まっているが
ホワイトデーには明確な贈り物が指定されていない

クッキー?
ホワイトチョコ?


どうかそれだけでもいいから明確にしてほしい
・・・というかチョコメーカーはバレンタインだけ告知するのでなく

ホワイトデーもチョコ!

くらい高らかに宣言してもいいのではないか

おそらく受験シーズンの縁起物商品よりも
きっちり伝えていけばそれなりの売上にもなる気がする

んで私の場合、嫁さんにホワイトデーをお返しすると
「こんなものいらない」「お金がもったいない」
的なリアクションをいつも頂戴する

そしてこう言うのだ

花が一番いい



今年については入浴剤をプレゼントしたが
毎年紅茶とかクッキーをプレゼントしている

いっそのこと花キューピットとかホワイトデーは花!
みたく母の日のカーネーションみたいな習慣にしてくれないだろうか


今年も厳しいリアクションとは書いたが
実は、欲しかったモノをプレゼントできたというエピソードも
あったりする

それが写真の神戸屋ブレッド

たまたま3月14日の帰り道であったのだが
パンのワールドカップで日本が1位になったようで
それを買っていった

そしてついでに渡したこのパンに

「これ欲しかったのよ!」

ついでに買っていったものが賛美を受け
メインで買っていった入浴剤は

「はぁ?」

というリアクション

嫁よ その「ため息」はお風呂で深呼吸するために
とっておいて欲しかったのに

そして

このまま私も「喜んでもらえてよかったよ」
と言えばいいものの、余分な一言を告げてしまうのだ

「これ閉店間際で30%オフだったからね」


と・・・

いつもプレゼントを買っても「もったいない」と言われるが
故に出てしまうこの余計な一言

これで例年通りの寒いホワイトデーが幕を閉じる 

そもそも私にはプレゼントする素質がないのかもしれない




Facebookのタイムライン化によって

診断系アプリによるファン集客が難しくなった

という話はよく聞くが

Facebookページ自体にメッセージ機能がついたというのは
意外と知られていない

・・・というかあまり語られていない

このメッセージ機能はつまり「問い合わせ窓口」ができたわけだが
これはまさしく

ソーシャルメディアが顧客対応する場

となる大きなきっかけになると思う

企業のFacebookページの投稿にときどき

「そんなところで書くコメントじゃなくない?」

というのがけっこうあったのだが
今後はその的外れなコメントは減っていくことになる

その代わりにソーシャルメディアお問い合わせ窓口担当

顧客対応ができる人材で
且つ企業の部署を横断的に連携できる体制


が絶対的に必要になる

すでにANA Faebookのように、コメントが来る前に
公表するという体制もできているのは

ソーシャルメディア上で拡がる声の価値

・・・とうか「怖さ」を知っているわけだが
企業がソーシャルメディアに取り組むにあたっては
それ相応の覚悟がより必要になってくる

ここで何度も書いているが海外ではそういった人材を

Highly Empowered Resourceful Objectives Operatives

と称してHEROと呼ばれているが
まさしくこの名の通りの人材が必要なんですよ!ということを
Facebookは言っている

顧客と企業の対話の場がまた増えることで
ファンはクレーマーのような脅威になるか、
もしくは企業のブランド価値を高めてくれる
エヴァンジェリストとなってくれるか

対応ひとつが企業の「おもてなし」を知る指標になるわけだ

でも日本のサービスの代名詞でもある「おもてなし精神」こそ
ソーシャルメディアとの相性がよいのではないかと

ちょっと楽観的ではあるが日本企業はソーシャルメディアの
導入によってもっとサービスを向上できるきっかけとなる

またそれを世界に発信できるのではないかとも思っている


クリネックス 白鵬

自分の性格をひとことでいうなら

天邪鬼(あまのじゃく)
であることは間違いないと思っていますが

改めてウィキで調べると

「人の心を見計らって悪戯をしかける子鬼」とされることから転じて、
現代では「他者(多数派)の思想・言動を確認したうえで、
あえてこれに逆らうような言動をする"ひねくれ者"、"つむじ曲がり"」

「本心に素直になれず、周囲と反発する人」またはそのような言動を指して、
「あまのじゃく(な人)」と称されるようになった。


この中の他者(多数派)の思想・言動を確認した上で・・・
くだりはおもわず

「おぉぉ ちゃんと確認した上での行動かぁ」

そうなると、この天邪鬼という言葉はただのひねくれ者ではなく
ある意味「戦略家」ではないかと捉えることもできるわけです

なんでこんなことを書いているかというと

天邪鬼から見える景色はかなりおもしろいから

特に広告なんて業界は目立ってなんぼ!
まではいきませんが伝わることを徹底的に
考えるわけですから

ほかと違うことをやる必要

があるわけです

それが反逆児とまで過激になってはいけませんが
ある程度の天邪鬼感覚はもっていないといけない

業界が厳しく、変化が求められるならなお更この感覚は大事

とはいえその中に「やさしさ」がないと生きてはいけないと
思ったり。

難しく、おもしろき世の中であったりします

昨日の日記では

3月11日は節目ではない

と書きましたが3月12日は間違いなく自分にとっての
節目でした

今はクライアントであり、昨年まで席をおかせてもらった
会社が100周年を迎えたのです

このタイミングに立ち会えたのは幸運というしかなくて
ほんと感謝の気持ちでいっぱいだ

しかもFacebookを通じてメッセージを発信することもできた
詳しくはこちら

幸いにもFacebookをやりながら、より企業と個人は

友達に近い関係

と思っていたが、そんな100周年の投稿に
誕生日を祝うかの如く「おめでとう」のコメントと
たくさんの「いいね!」が記録されている

長く続けるというブランドもソーシャル上では
祝ってもらえるという価値があるんだと肌で痛感した日でした

これからの100年もたくさんの「いいね!」のためにがんばっていきたいです



2012年3月11日は日曜日でしたが仕事でした

自分がやっている「広告」という仕事を全うする

その全うするということをじっくり考えることができた
一日になりました

自分にとって震災は節目ではありません
ずっと考えていくことだと思っています

まだまだ自分にできることがあると信じて
いろいろなものをつなげていきたいです

最近広告の仕事をやっていて
自分の役割は

つなげること

だということが見えてきました

つなげることを伝えていく場として
このブログを続けていきます

引き続きよろしくお願いします






自分が広告会社に就職したときに

母が


「あんた子どものとき、テレビCMにかじりつきだったもんねぇ」


と言われたことがあって、割と広告って天職かなぁとか思っているが

日々子どもたちの行動を見ていると

息子たちが振り向くテレビCMは感性で伝えることができているんだ

とおもしろい観察ができたりする

そのCMが上のふたつです

TOYOTAのパッソはリズムで見てしまうっていうのが

あるんだろうけど、どうしてもカエラのキシリッシュは

未だ分からない

でもなんか見てしまう、というかカエラの話を聞いてしまう

雰囲気とか「間」が演出できているんだと思う

子ども目線で見るCMも案外おもしろかったする