
2017年から2018年にかけて
SEKAI NO OWARIのピアノ担当Saoriさんの
「ふたご」
を読みました。
実は何度か本屋で
手に取ってはいたのですが
内輪感が強いかなぁ
と躊躇していたのですが
冬休みのタイミングに
直木賞にノミネートという
文壇のお墨付き
が出たので本棚からレジへ
そして我が家に運ばれることに
なりました。
「本を読むきっかけ」って
SNSで友達が紹介していれば
それだけで充分な
お墨付き
になるけど直木賞、芥川賞は
選ぶ指標としては
かなりランクが高いと
今更ながら痛感させられました。
もともと「ふたご」は
セカオワの自叙伝
と聞いていましたが
内容はかなり壮絶な物語
「あとがき」でも著者の
書き上げる苦しみ
が綴られていましたが
読後は
よくぞ最後まで書き上げてくれた!
と感謝したくなる作品。
どこまでがフィクションで
どこまでをノンフィクションにしたかは
書いたひとにしか
分からないので
感想が的外れになってしまうかも
しれませんが
主人公(著者)の相手役(深瀬クンを想定)との
やりとりが中心に書かれている第一部
パニック障害がきっかけで
ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)
注意欠陥多動性障害
つまり「発達障害」と診断されてからの
彼らのやりとりがまるで
我が子と嫁さんの会話のデジャブを
見ているようで胸が震えました。
学校に行くこと
朝起きて夜寝ることが
当たり前と考える
主人公(なっちゃん)と
それが「つまらない」と
否定し続け
「なぜ」を問いかけ続ける月島クン
その問いの答えを
逃げずに誤魔化さずに
一緒に探すことを選ぶなっちゃんの
葛藤の対話は
子育てや友人関係に悩むひとに
とって救いのメッセージに
なるのではないかと思います。
発達障害の子を持つ親として
それが「障害」ではなく
スペシャルタレント(才能)
なんだと言い聞かせてきましたが
障害を才能として認め
障害を跳ね返す才能を開花させる場と
人間関係さえ築ければ
むしろ大輪の花を咲かせることができる。
すでに親である私も
息子の不思議と
ヒトを惹きつけてしまう
才能という何かの
行き場所を探す旅をしています。
本の中では
二人の関係が
ただのトモダチでもなければ
恋人でもない
兄弟よりも親密な
双子
と表現されていますが
一心同体である
というモノの見方には
大いに励まされ
勇気付けられました。
この作品を書くきっかけと
なったのも深瀬クンの
「書いてみなよ」という
(悪魔の)一言が
産みの苦しみを作ったわけですが
この苦しみで救われる人が
たくさん生まれるのであれば
それはまたふたりにとっての
必然であったのかもしれません。
最近ではお笑い芸人やアーティストが
文壇の受賞、文芸界に出現するのは
結局表現は「書くこと」が
原点であるのだと教えてくれます。
書くことでヒトを癒し
そして本人が癒されるのは
表現者冥利に尽きるのではないか
物語を生む苦しみと子を産む苦しみ
二つの困難に打ち克った藤崎彩織さんの
これからの活躍が楽しみです