『中学歴史―平成30年度文部科学省検定不合格教科書』(令和書籍)

 

【正誤表】(6月11日16時00分時点)

P5「感の鋭い」→「勘の鋭い」(第5刷で訂正)


P8「平成三十年四月一日」「平成三十一年四月一日」(第4刷で訂正)


P46「次に、豊宇気毘売神は」「また、豊宇気毘売神は」(第4刷で訂正)


P51L12-15(削除)(改版時に訂正)


P58「大和朝廷の前進となる王権です」「大和朝廷の前身となる王権です」(第5刷で訂正)


P59「朝鮮にあるに前方後円墳は」「朝鮮にある前方後円墳は」(第4刷で訂正)


P64「滋賀県と岐阜県の堺」「滋賀県と岐阜県の境」(第4刷で訂正)


P68「江田船山(ルビ・えだふなやま)」「江田船山(ルビ・えたふなやま)」(第5刷で訂正)


P75「皇帝かららの国書を」「皇帝からの国書を」(第4刷で訂正)


同「祖」→「租」(2ヶ所)(第5刷で訂正)


P79「価値がるのです」「価値があるのです」(第5刷で訂正)


P85「流罪となりました」「流罪としました」(第5刷で訂正)


P93「専権政治(ルビ・せんおうせいじ)」「専権政治(ルビ・せんけんせいじ)」(第5刷で訂正)


P112上段L5「和歌の上の句と」~同L8「影響を及ぼしました。」(削除)(第4刷で訂正)


P120「織田信雄(ルビ・おだのぶお)」→「織田信雄(ルビ・おだのぶかつ)」(第5刷で訂正)


P127「育まれていきました」「育まれていきました。」(第5刷で訂正)


P137「天保(ルビ・てんほう)の改革」「天保(ルビ・てんぽう)の改革」(第4刷で訂正)


P139「木戸孝允(ルビ・きどこういん)」「木戸孝允(ルビ・きどたかよし)」(第4刷で訂正)


P144「破れました」「敗れました」(第5刷で訂正)


P153「ドイツのワイマール憲法などを」「ドイツのビスマルク憲法などを」(第4刷で訂正)


P153「ワイマール憲法とは、第一次世界大戦に敗北したドイツ帝国が崩壊したあとに制定されたドイツ憲法のことです」「ビスマルク憲法とは明治四年(一八七一)に制定されたドイツ帝国の憲法で、ドイツ帝国憲法とも呼ばれています」(第4刷で訂正)


P154「億兆心(ルビ・しん)を」「億兆心(ルビ・こころ)を」(第5刷で訂正)


同「恭倹己(ルビ・おのれ)レヲ」「恭倹己(ルビ・おの)レヲ」(第5刷で訂正)


同「以テ天壌無窮(ルビ・そらつちむきゅう)ノ」「以(ルビ・もっ)テ天壌無窮(ルビ・てんじょうむきゅう)ノ」(第5刷で訂正)


同「是(ルビ・この)ノ如キハ」「是(ルビ・かく)ノ如キハ」(第5刷で訂正)


P165「大日本国皇帝陛下(ルビ・だいにっぽんていこくこうていへい)」「大日本国皇帝陛下(ルビ・だいにっぽんこくこうていへいか)」(第4刷で訂正)


P168「日本の戦後時代」「日本の戦国時代」(第4刷で訂正)


P171「政党内閣を理論的に後押しするかたちで、大正デモクラシーと呼ばれるこの時期は政党内閣を理論的に後押しするかたちで、闊達に議論されました」「大正デモクラシーと呼ばれるこの時期は、民主主義が闊達に議論されたことで、政党内閣が理論的に後押しされました」(第4刷で訂正)


P181「オランダとドイツ」→「オランダとフランス」(第5刷で訂正)


P183「隣席」→「臨席」(第5刷で訂正)


P184「ハル国務長官の回想から」「ハル国務長官は」(第4刷で訂正)


P188「多くの台湾人と朝鮮人が」「一部の台湾人と朝鮮人が」(第4刷で訂正)


「サイパン」「マリアナ諸島」(2ヶ所)(第5刷で訂正)


P192「日本は降伏しないとも分析していました」「日本は降伏しないと分析していました」(第4刷で訂正)


P199「証書」→「詔書」(第5刷で訂正)


P204「備忘録(ルビ・ぼうびろく)」「備忘録(ルビ・びぼうろく)」(第5刷で訂正)


P209「ウズベキスタンに連行された〜」(1W下げ)(第5刷で訂正)


P214「全国巡行」「全国巡幸」(第5刷で訂正)


P215「昭和六十四年一月九日」「昭和六十四年一月七日」(第4刷で訂正)


同「今上(ルビ・こんじょう)」「今上(ルビ・きんじょう)」(第5刷で訂正)


コラム見出し「全国巡行」「全国巡幸」(第5刷で訂正)


同「待たなくてはならなりません」「待たなくてはなりません」(第5刷で訂正)


P218-219「平成元年(一九八六)から平成四年(一九八九)にかけて、地価と株価が急激に値上がりし、平成五年(一九九〇)から大きく値下がりしてから」「昭和六十一年(一九八六)から平成元年(一九八九)にかけて、地価と株価が急激に値上がりし、平成二年(一九九〇)から大きく値下がりしてから」(第4刷で訂正)


P121「秀吉はは」「秀吉は」(第5刷で訂正)