那覇の波上宮には、昭和天皇の御製碑があります。

沖縄は9万人以上の民間人が命を落とした激戦地です。

昭和天皇は終戦後、国民を激励しようと、全国各地をご訪問になりました。

しかし、沖縄県だけは、米国の施政下に置かれていたため、昭和天皇は、それを果たせずにいらっしゃいました。

そして、昭和47年に沖縄が本土復帰を果たすと、昭和天皇は沖縄ご訪問を強く希望なさったそうです。

しかし、ご訪問が決まりかけた矢先に事件が起きました。

昭和50年に、沖縄のひめゆりの塔で、当時の皇太子同妃両殿下が、火炎瓶を投げつけられる事件が発生したため、昭和天皇の沖縄ご訪問は沙汰止みとなったのです。

そして迎えた昭和62年、昭和天皇の念願が叶い、ついに沖縄行幸が決定しました。万感の思いであられたと拝察されます。

ところが、沖縄行幸が決まった直後、昭和天皇は病に倒れてしまったのです。

そして、そのままご容態は悪化し続け、昭和64年1月に崩御あそばされました。

昭和天皇が病床でお詠みになったのが、次の御製です。

「思はざる病となりぬ沖縄を
     たづねて果さむつとめありしを」

沖縄に行くことが私の務めであるのに、思わぬ病気になってしまった、というような意味です。

昭和天皇にとって、沖縄訪問が叶わなかったことが、大きな心残りであったと拝察されます。

その御製碑が、波上宮の境内にあります。

多くの沖縄県人がこのことを胸に刻んで欲しいと思います。

この御製碑が沖縄の神社に置かれていることを嬉しく思いました。

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