ハーマン・メルヴィルの長編小説「白鯨」のモデルになったマッコウクジラは、オスの体長が15メートルから18メートル、体重は50トンに達する大型の鯨で、歯のある動物の中では世界最大である。

 マッコウクジラは潜水の名手で、400メートルの深海まで簡単に潜り、1時間留まることができるという。

 好物は深海に棲むイカ類。

 ダイオウイカを捕食することもある。

 ダイオウイカは、古代ギリシャ時代から海の怪物として恐れられた伝説の巨大イカであるともいわれ、全長10メートルを超える固体もある。

 ダイオウイカの唯一の天敵がマッコウクジラであり、マッコウクジラの胃の中から、全長12メートル、体重204キログラムのダイオウイカが生きたまま発見されたこともある。

 マッコウクジラは自分の体長ほどのイカをひと呑みにしてしまうのだ。

 マッコウクジラの皮膚に大きな吸盤の痕が残されていることもあり、深海では最大の哺乳類と最大の軟体動物が、死闘を繰り広げることがあると思われる。

 以前、サケは川を遡上することで、海に散らばった森の栄養分を回収して森に運ぶ役割を果たしていると書いた。

 サケが上ることで森の生態系が維持されるという考え方である。 

 深海のイカなどを大量に捕食して海面近くで糞をするマッコウクジラも、海面と深海を行き来しながら、サケの遡上と同じ役割を果たしていると考えられる。

 藤田祐幸氏の「マッコウクジラはなぜダイオウイカを食べるのか」(『現代科学』2002年11月)によると、世界の海で少なくとも毎年6000万トンほどの深海の栄養分がマッコウクジラによって運ばれ、排泄物として海面付近に散布されるという。

 世界の年間漁獲量約8400万トンと比べると、マッコウクジラが運ぶ養分はその約7割に当たり、生態系に与える影響は甚大といわざるを得ない。

 森から流れ出で深海に沈んだ栄養分は、深海生物を育て、イカに捕食され、そのイカはマッコウクジラに捕食されて海面に引き上げられ、今度はサケ・昆虫・鳥などが川を遡上することで、長い年月をかけて再び森に返されるのだ。

 森から流れ出た養分が海底にたまり、再び森に帰るまで2000年かかるともいわれる。

 そして、ヒトが、海底の生物を食べてまるまる太ったマッコウクジラを捕らえて利用すれば、1頭あたり約50トンの海底の養分を地上に引き上げたことになる。

 これぞ動く物たる「動物」に期待された自然の摂理ではあるまいか。


(『月刊食生活』平成24年12月号 連載「和の国の優雅な生活」に寄稿した記事です)


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