皆さんこんにちは。

本日は、「人生の正午」というテーマで書き留めたいと思います。

 

ご存じの通り、この考え方はユングによる人生の捉え方です。ユングは、人生を一日の太陽の運行になぞらえて考え、人生を4つの時期(幼少期、青年期、中年期、老年期)に分けて定義しています。

現代でいえば、働く期間が長くなったことで、人生を3ステージ(勉強、仕事、隠居)としていた旧来の考え方から、4ステージ(勉強、稼ぐ仕事、やりたい仕事、隠居)とするような考え方に近いのかもしれません。

 

 

ユングは、青年期から中年期に変わるタイミングを正午と考え、その時期に危機が訪れるとしています。この中年期への転換点でうまく変われなかった人間は、人生後半を自分らしく生きられないと考えました。

ちょうど正午で太陽が一番高くなりますが、今まで東側に向かって太陽が昇るのを見ていたのが、そのまま態勢を変えずに太陽を見続けていると、身体が反って太陽が見られなくなるように、中年期を迎える頃には自分自身の生き方をある意味で転換していく工夫をしなければ、その後の人生を実りあるものにできないという捉え方をしています。

態勢を変えることにより、午前中に影になっていた部分が良く見えるようになるように、人生の前半で見えていなかったことが、生き方や考え方を転換することにより見えてくる、ということなのでしょう。

 

これは、午前の間、つまり青年期までは自分の成長のため、あるいは家計を支えるためにがむしゃらに突き進んでもいいけれども、中年期になったら自分のためだけではなく、後輩や次の世代のために自分の生活の一部を捧げられるか、という天からの「問いかけ」なのではないかと私は思っています。

 

では、青年期から中年期への変わり目というのは、具体的にはどのくらいの年齢を指すのでしょうか。

現代に生きる私たちとユングの生きた時代とは寿命も大きく異なるでしょうから一概には言えませんが、現代では40歳から50歳が人生の正午といってもいいのではないかと私は思っています。

少なくても50歳を超えるあたりでは、会社人生でも自分の歩む方向や程度といったものはそれなりに見えてくるでしょうし、家族も自立しないまでも、子どもを常にかまっていなければいけない世代でもない方が多いのではないでしょうか。

 

一方でこのような人生の転換点で、地位やお金を持つことで自分像を過剰なものとして勘違いしてしまい、望まれる転換ができなくなってしまう人間もいます。

私から見ると、そういう人間の特徴は、午前中の時期にしっかりと自分で苦労して自分の影を作ってこなかった人、換言すれば常に他責の人生を送ってきたような人は、人生の正しい後半を迎えられていないです。また社会関係資本(率直にフィードバックし合えるような人間関係財産)に投資してこなかった人も、残念ながら自分自身を正しく評価し修正することができないので、望まれる転換ができずにいます。こういうタイプは、年齢を重ねて高い地位についても、自分自身を内省する機会を持てないために、常に人間関係でトラブルを起こしてしまうのです。

 

先日、世代の近い友人と食事をする機会があり、企業人人生の後半戦での自身の在り方について語り合いました。その友人は、自分が前面に出るのではなく、後輩を育成することに現在の自分の役割を見出していました。それを話している友人の顔からは、本当に微笑ましい充実したものを感じました。

 

私もその友人のように、求められる役割をしっかりと果たせるようにこれからも歩みたいと思っています。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2024.4.20 #336

 

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